2014年12月25日木曜日

私の余暇

 これまでずっと医療に関係したことばかり取り上げてきましたので、ここではちょっとくだけたことを綴ってみます。私は昔から写真に凝っていました。写真の中でも特に天体写真にはかなり熱中しています。勿論今も暇があると夜空を眺め、撮影できそうだったら赤道儀と天体写真に特化したカメラを持ち出します。今は様々な理由があって、かなり広範囲に分布する目に見えないガスの塊を撮影しています。

 水素ガスは原子核が陽子だけ、そしてその周囲を電子一個が回っていると言う構造です。回っていると言うのは正確ではありません。電子は原子核の周りを粒上の物体として回っている訳ではないのですが、ここでは便宜上その様な不正確な表現で済ませておきます。外部から例えばγ線がやって来て、水素原子に当たるとどうなるか、ガンマ線が当たって、方角を変えて飛んでいくときに波長が長くなります。衝突前後の波長の差額の分だけ、水素原子はエネルギー状態が高くなる。そのエネルギー状態は電子軌道の高さとなります。

 この高さと言うのも変な話ですが、原子核からの距離(これも変ですが)みたいなもので、エネルギー順位が高くなるほど電子軌道は原子核から遠くなります。その軌道が3番目にあるときに、2番目まで落ちるとそのエネルギーの差額分だけ、水素原子から光が飛び出します。その光の波長をHαと天文仲間は呼んでいます。赤外線にとても近い、見えにくい赤色の光で、一般のデジカメでは画像のにじみを抑えるために、この光をカットしてしまっています。私の天体写真に特化したカメラはこの赤外カットフィルタをHα透過性のいいものに換えた奴です。

 我々の住む銀河系を飛び出して、数千万光年まで観測の対象にすると、たくさんの銀河が写せるのですが、対象がとても小さいので高性能な望遠鏡が必要になることと、天体を追尾する装置がとてもシビアな軸合わせを要求するので、私のようにいい加減な性格の人間ではちゃんと撮影できる歩留まりが悪くなります。そのために、銀河系内の広がりのある天体を撮影していたのですが、やはり物足りないのです。

 そこで、新温泉町にお願いして、町有地をお借りして、天体写真を撮影するための小屋を作ることにしました。星を追尾する装置(赤道儀といいます)をすえつけて、移動式の屋根で覆って風雨を避け、撮影するときだけ屋根をどかす、そうすれば、赤道儀のセッティングはめったに必要なくなりますので、撮影の歩留まりがぐっと向上する。そんなことをかれこれ20年も前から考え始めました。そしてタバコを吸ったつもりになって500円玉貯金をし、自分で言うのもなんですが、涙ぐましい努力の結果、何とか観測小屋建設の資金のめどが付きました。

 今年は私の写真を外来の受付に展示させて頂いています。天体写真だけではなく、様々な写真を展示しましたが、来年もまたこうした展示が出来たらと願っています。一方、写真や絵画など、外来の受付スペースに展示したいとお考えの方はこのブログに対してご一報ください。ご希望に添えるよう検討します。来年はもっと質の向上した天体写真をお見せできることを念じつつ、これを今年最後のブログ記事にしたいと思います。

2014年12月18日木曜日

ヒヤリハットと医療事故

 誰が考え付いたのか、ヒヤリハットという言葉があります。仕事をしているときにヒヤリとしたけど難を逃れたとか、危うく一大事になりかけたことにハット気が付いたと言うのを『ヒヤリハット』と言う言葉で表したもので、危機管理をする上で、とてもポピュラーになった言葉です。話によると、100件のヒヤリハットに対して、重大事故が1件か2件か起こるらしいのです。だから日常業務の中でヒヤリハットそのものを減らせば重大事故は減るはずだ、そういう思いから各事業所の内部でヒヤリハット事象を取り上げて、その原因を分析すると言うことをやっているのでしょう。

  バンクーバーで留学生活を送っているときに聞いた話ですが、人工心肺装置に組み込まれている温度計が壊れて、患者に45℃に温められた血液を送ってしまい、その患者が死亡したと言う事故があったそうです。回路の暖かさを手で触って確認すると言うことをやっていたら、防げた事故だったと思います。日本でも人工心肺に絡んだトラブルはいくつもあります。拍動流ポンプを使ったもので、回路に高圧の空気が送り込まれたと言うのを聞いたことがあります。

  回路を供給する際に当然滅菌しますが、その滅菌に使う毒性の強いガスが回路内に残っていて、そのために重大事故になったというのも聞いたことがあります。そのほか、院内の酸素と炭酸ガスの配管を大元のところで逆につないでしまったためにとんでもない事故が起こったと言うこともありました。手術室や病棟では酸素吸入に酸素が必要ですし、手術をしている場所に炭酸ガスが必要なこともあります。

 毎日壁の配管に医療機器を接続することになりますので、そこでトラブルが起きないように、ピン・インデックスと言って酸素の配管と窒素、圧縮空気、炭酸ガスなどで接続プラグが異なるようにしています。そうした医療ガスを使用する最終段階でのミスは起こらなくなっているのですが、おおもとでつなぎ間違えていると、実際に臨床的な不都合が起こらない限り現場の人間は気が付きません。

 以上は重大事故の例でした。ヒヤリハットの例としては薬剤を入れる仕切り棚の中でアドレナリンを入れるべき場所にそれと外見が良く似ているアトロピンをいれていた、などというのが良くありました。最近はアンプルの外見がずいぶん異なるようになったので、聞かなくなりましたが。微量注入ポンプが壊れて、内容がすごい速さで注入されたと言うのもありました。その内容がアドレナリンだったりしたらとんでもないことになっていたことでしょう。

  入院中の患者さんに関係したものでは、ベッドから落っこちたと言うのがもっとも良く聞くものです。ベッドの高さを低くすると、転落時のダメージは減らすことが出来ますが、介護がとても大変になってきます。スタッフの腰痛を訴える比率が倍増、しばしば労災で治療を受ける必要があるとなると、これまた大変で、人手不足に拍車がかかります。ベッドや患者さんの体に各種センサーをつけ、怪しげな動きをしていたらすぐ駆けつけるようにしていても、わずかな隙を潜り抜けて転落する人がでてきます。

 病院は、ある意味ご家族を介護から開放すると言う意味もあるのですが、まるでこちらに転落に関する真剣勝負を挑んでいるような患者さんに対して有効な手を打てないのも事実です。そういったときにご家族に付き添いをお願いすることがあるかもしれません。

2014年12月12日金曜日

海外の学会・予想できない質問

 7年ほど前のことですが、プラハでの国際学会の折、演題を提出して採択されたので、行っ
てきました。その学会は輸血の代替療法に関するもので、私が当時輸血量を何とか減らす工夫
をして、その記事をホームページにUPしていました。その学会から、私のホームページの趣旨
と学会の趣旨がかなり近いので、ぜひ一度来いと言うお誘いがあった、それがきっかけです。
プラハでは、『エホバの証人』と言う、病院関係者の間では少し有名な宗教法人に対する私た
ちの立ち位置について報告を行うことになっていました。
 
 私のスライド原稿に、日本に『エホバの証人』の信者が少数派であること、仏教徒が多数派
であること、しばらく前まで本邦の医療現場はパターナリズムが主流で、つまり『黙って俺を
信じて付いて来い』的な態度で患者さんに接していたこと、したがって医療行為について患者
さんが同意した上で云々と言う新たな流れは医療従事者、特に医師にとってとても居心地の悪
いものだったということなど明記しました。そういった日本での現状を説明し、輸血の機会を
減らすためにどうしたかという話に持っていくと言う腹積もりでした。
 
 ところが、会場から『仏教の基本的な考え方、哲学はどういったものか』と言う質問が出て、
仏教についての解説みたいなものを要求されました。ヨーロッパの人にとってそちらのほうが
関心事だなどと想像してさえいなかったので、さて困った、私はお経など読んだことがありま
せん。昔子供のころ、祖父の膝に座って彼から聞いた話は、後で思い起こすと多分神道にまつ
わるもので、仏教と関連があるとは思えません。しかし、そこで『I have no idea.』などと
いって逃げるわけには行きません。欧米では宗教に関して、我々日本人からは想像できないほ
どシビアな態度をとるのです。
 
 はっきり無神論と主張するにはそれなりの自分の哲学を開陳する必要がありますし、勿論私
にはそんなバックグラウンドはありません。あまり無茶苦茶な返事をすると、次回からの学会
に演題を採択してもらえないなんてこともあり得ます(それまで3回採択されていました)の
で、ここは慎重に対処する必要がある、そう考えました。複数の人が会場でマイクを持って交
互に、仏教とは何か、その本質はどうで、悟りとはどういったものか、などと妙なことをまく
し立てています。しかしそのおかげでやや時間を稼げました。
 
 その時に昔読んだ本を思い出しましたので、それに沿って考えていくことにしたのです。
『あなたたちは、例えば人とは何かとの問いかけにいろんな答えを持っているだろう。直立歩
行、言語、知能、などなど。しかしそうした答えを持ち出す際に、すでに頭の中にヒトについ
ての言語以前の観念を持っているから、その様な答えを出すことが出来るのだ。その言語以前
の観念を直接把握しようとするのが、東洋哲学の基本的なスタンスで、その把握を悟りと言う
』。
 
 すごいハッタリで、今考えても冷や汗ものなのですが、現地では『東洋の神秘』みたいな受
け取られ方をしました。発表の後、一つのテーブルを囲んで仏教や東洋哲学などについて議論
を重ねました。そして翌年、また学会で会おうと誓い合って分かれたのでした。残念ながら、
その翌年の学会に私は都合で出席できませんでした。提出した演題の演者を後輩に振って代わ
りに行ってもらったのですが、そのときの顛末については詳細を聞いていません。
 
 いろんな雑学をあちこちで仕入れておくと、妙なところで役に立つものです。まさか昔読ん
だ広松渉の著作がこんなところで役立つとは思いもよりませんでした。

2014年12月4日木曜日

ジャンク・フードの弊害

 前回に引き続き、食について述べておきます。食事は人が生きて行くうえでとても大事なものです。とはいっても、私の言う文脈でとても大事になったのはごく最近のことで、ヒトがヒトになる途上にあっては別の意味でとても大事なものでした。今は栄養のバランスの取れたものを美味しく調理して云々と言う文脈で大事なのですが、昔は生き延びるためにエネルギー源を確保すると言う意味でとても大切なことでした。

 少なくとも今の日本では各家庭に電気釜、なべ、フライパンの類があるでしょうし、勿論包丁やまな板もあるに違いないはずです。たいていの家庭で、ご飯を炊き、味噌汁を作り、魚を焼き、漬物を刻んで食卓に出しますね。野菜サラダ、スープ、肉料理などという家庭もあるかもしれません。一方、ハンバーガーに代表される外食産業が隆盛を極め、働くヒトの労働賃金の分を差し引いても、家庭で作る料理にそれほど負けないコストで外食産業の食事を食べることが出来るようになっています。

 食材を大量に安く仕入れ、あとは暖めるだけと言う段階まで工場で加工し、それを各店舗に配送すると言う形をとることで、費用を安くすることが出来るようです。もしかすると、その様なファスト・フードだけで食事を済ませていると言う家庭がわが国にも出現し始めているかもしれません。そうなると、その家庭で育った子供は『お袋の味』なるものを知る機会がなくなり、味覚上の欠落は当然次の世代に受け継がれるようになってしまいます。先の記事で述べた米国型の食生活に近づいていくわけです。

 そのファスト・フードですが、炭水化物と油を大量に含み、とてもカロリーが高いのが一般的です。そういった食べ物ばかり食べているととても困った事態に陥ってしまう。そんな研究が報告されています。その研究内容をコピーします。

オーストラリア・ニューサウスウェールズ大学の研究チームがマウスを使って行った結果で、研究者らは「頻繁に食べると、ジャンクフードがやめられなくなり、通常の食事を避けるようになるという”負の連鎖”に陥る」と注意を喚起している。

実験では、特定の音を聞くと砂糖水が与えられ、また別の音でチェリーやブドウが与えられることをマウスに学習させた。そしてヘルシーな餌で育てられたマウスは、チェリーやブドウの音に反応し、それらを好んで食べた。しかしそのヘルシー嗜好だったマウスに2週間ジャンクフードだけを与え、その後に同様の実験をしたところ、行動は前回とまったく逆だった。つまり、チェリーやブドウの音に反応しなくなっていたという。しかもショッキングなことに、ジャンクフード食をやめてヘルシー食に戻した後もしばらくは、砂糖水の方を好む傾向が続いたという。

つまり、ジャンクフードを食べると食の好みが変わり、ますますジャンクフードを求めるようになるのだという。研究を主導したマーガレット・モリス教授は「脳で起こるこうした反応は動物に共通するもので、今回の実験結果は人間にもあてはまる」と話す。ジャンクフードを食べれば食べるほど、ヘルシーな食事に見向きもしなくなる。現代が抱えている肥満増加問題の原因の一つといえそうだ。

 これに似た研究はカナダでもなされており、利益と効率を追い求めた結果としての外食産業が健康にとって重大な脅威になっているということを示しています。『お袋の味』と言うと家庭内での役割を固定化させるもので、あまりそういった表現は好ましくないと思うのですが、そういった味覚の根幹を形作るものが出来ないと、私たちはどんどんファスト・フード、ジャンク・フードへと押し流されていき、生活習慣病の底なし沼にはまってしまいます。

 女性だけが料理を担当すると、人生の晩年に奥様に先立たれたご主人はかなり悲惨なことになります。『世の男性たちよ、立ち上がって包丁を握れ』と言っておきます。家にいるときにはTVの前に居座ってビールを飲み、全く動かないと言うのでは健康上非常に具合が悪い。そうすることでほぼ確実に奥方より先に死ねる、と言う意味では望ましいのかもしれませんが。
 

 

2014年12月1日月曜日

お袋の味と食文化の継承


 少し前にTVで合衆国の食文化について放送していました。現在の米国では家庭で料理を作るという習慣そのものがなくなり、かなり悲惨な状況のようです。家庭で料理を作らなくなると何が悲惨か、今回はそのことを考えていきたいと思います。私たちの味覚の原型はかなり小さいときに形成されるようです。私自身の経験を例に挙げますので、しばらく我慢してください。

あるとき岩手県に住む友人が私に山葡萄で醸造したワインを送ってくれました。アルコール度数が11度ほどの、あまり理想的なブドウ畑で収穫されたものではないことをうかがわせるものでした。開封して口に含んでみると、なんとも美味しいのです。懐かしい味というか、安心させるような味です。私が思い出したのは、子供のころぶどう園をやっていた実家で余ったぶどうを使って作っていたワインでした。私の実家は盆地にありましたし、ブドウ畑もそれほど水はけを気にしていませんでしたので、ワイン用のぶどうとしてはそれほど褒められたものではなかったはずです。

56歳の頃、出来上がったぶどう酒をほんのわずかだけもらって飲むのが楽しみでした。子供ですから、少量で赤くなってしまうものですが、赤くなってふらついても、その味はとてもおいしいものでした。そのぶどう酒の味を思い出したのです。しかし私と一緒に飲んだ妻はその山ぶどう酒をそれほど美味しいとは思わなかったようです。昔私だけが美味しいワインを飲むことに良心の呵責を感じて彼女にいわゆる5大シャトーのワインなど飲ませたときに彼女があげていた感嘆の声から判断して、ワインの味が分からないのではない。

つまり私の味覚を形成する過程に幼少時の自家製ワインがあったのだということです。かくのごとく味覚の形成に子供のころに食べたもの、飲んだものの影響はとても大きい。その時期にジャンクフードしか食べなかったら?味覚を分析するために、味の要素を分解して行ったとして、甘み、塩辛さ、苦さ、様々なスパイスの刺激、それだけでしょうか。もしかするとそれら少数の要素が、少しずつ配合比を変えながら異なる味覚を形成しているのかもしれません。

しかし子供のころに強い甘み、強い塩辛さ、強い苦味(これは子供にとっては苦手なので吐き出してしまうことが多い)などしか味わうことがなかったら、微妙な味わいの料理など、きっと美味しいと思わなくなってしまうでしょう。どんな料理にでもぎょっとするような分量の砂糖か、塩をかけて食べる、健康にも悪そうですし、味覚を楽しむということが出来ません。実際に米国の人口の2/3が肥満しているそうです。ジャンクフードを腹いっぱい詰め込む、それだけではなく、極端に濃い味付けの料理で糖分と塩分を過剰に摂取していることも大問題だと思うのです。

そういえば、カナダ留学中に冬休みに家具などが装備されたコンドミニアムに滞在してスキーを楽しんだことがありますが、そのお宿に備え付けの包丁がひどかった。やや厚手のブリキを包丁の形に打ち抜き、グリップをつけたというもので、キャベツのような素材でも、どう足掻いても切ることが出来ませんでした。そのときには、その宿の備品について腹を立てたのですが、カナダでは誰も料理しないので、物を切ることの出来る包丁などを装備して怪我でもされたらかなわないと思っていたのかもしれません。

今、日本にも米国流の生活様式が流入してきています。ある面では大いに歓迎すべきなのですが、料理についてはどうしても賛同できません。お子さんに『お袋の味』をちゃんと教え込み、『親父の味』も教え込み、その味覚を今後とも継承して行こうではありませんか。極端に甘いのと極端に辛いもの、極端にスパイシーなものしか区別できない人生なんて、あまりにもさびしいと思うのです。


2014年11月21日金曜日

心房細動と脳梗塞予防

 人間、年をとるとかなりの確率で心房細動を引き起こします。この心房細動はそれ自体が厄介な病気です。心房が正常に働いていると、心室の拡張末期に心房収縮の一蹴りで心室に送られる血液が20%ほど増えます。この言い方は誤解を招くかもしれません。心房収縮が無いと、心室に送られる血液が20%減ると言ったほうが良いかもしれません。いずれにしても、心房の正常な収縮と弛緩がリズミカルに行われないと、心臓の機能が低下します。

  そして、心房細動を起こす人はそれ以前に何らかの心臓関連の問題を抱えているので、先に述べた20%の低下が重大な意味を持つのです。大まかに言って、一回の収縮で心臓から送られる血液の量はその人の体重の0.1%ほどです。つまり体重60kgの人の1回拍出量は60mlほどです。そして、毎分70回脈を打っているとすれば、60x70=4200mlの血液が心臓から出て行くことになります。これは勿論安静時の話です。

  余談ですが、合衆国では銃撃戦のとき、FBIの捜査官は左手を握り締めてそのこぶしを時分の心臓の正面に持っていくと言う話を聞いたことがあります。敵の銃弾がこぶしに当たると心臓まで達しないことが多く、致命傷を避けることができ、こぶしの大きさが心臓の大きさに近いと言うのがその理由です。実際の銃撃戦を見たわけではないので、事の真偽は明らかでないのですが、銃弾の飛び交う世界が日常と言う国ではずいぶん説得力のある話です。

 話を元に戻すと、心房細動などで、心臓から送られる血液が減ると、そういった人はたいてい心不全になります。そして心房細動からかなり短期間のうちに死亡してしまう人がかなりの割合になるそうです。そしてもし初期の死亡リスクを乗り越えたとしても、次のリスクが待っています。正常に機能しなくなった心房に血栓が形成されるのです。左心房に血栓が形成されると、それが遊離して脳に飛んだ場合に、かなり大規模な脳梗塞を起こす恐れがあります。

 治療法としては、古くからおなじみのワーファリンと言うお薬があるのですが、これは血を固まらせにくくするお薬です。ですから当然、脳内の血管に一部小さな裂け目などが生じたときにそこから通常だとちろちろ出血してそれがすぐ止まるのに、ワーファリンを飲んでいる人では止まらないということがよく起こります。つまりワーファリンを飲むと脳梗塞のリスクは減りますが、脳出血のリスクが増えるのです。

 勿論、梗塞のリスク低下分は出血のリスク上昇分より遥かに大きいので、損得勘定からするとワーファリンを飲んだほうがいい。しかし我々医師も普通の感情を持った人間です。外来に心房細動を起こした人がやってきた、何も治療されていない、そういったときにワーファリンを開始したほうがいいと分かっていても、自分の指示でワーファリンを開始したときに出血が起こったらどうしよう、そう考えてしまいます。

 勿論冷静に考えれば、ワーファリンを開始すべきだし、自分の身内に対してだったら開始すると思います。しかし、特に年齢がかなり高くなると、出血のリスクも高くなるので、自分の処方によって脳出血で帰らぬ人になってしまう可能性が具体的な恐れとなってしまうのです。最近はワーファリンより遥かに安全な抗凝固薬が利用可能になりましたが、それでも高齢者に使うにはためらわれるのです。勿論使ったほうが使わないよりも遥かにメリットは大きいのですが。

 医療行為というのは、どんなものでも必ずリスクが付きまといます。そのリスクは自分が懸命に診ている患者さんが負う。私たちはそのリスクを負わせたくない。だから難しいのです。

2014年11月14日金曜日

コーヒーを飲む人は顔のしみが少ない


 医療従事者を対象としたSNSやWebsiteのようなものがいくつかあり、その中で時々医療と関係ない方にもたぶんとても興味深いだろうという情報があります。今回ご紹介するのはそのようなものの一つで紹介されていた、お年を召してくると気になる顔のシミについてです。ここに出てくるポリフェノールとは、コーヒーや赤ワインに含まれているもので、抗酸化作用を持つ物質の一つです。酸化とは一言でいえば『錆』の事、ポリフェノールは体内の錆を防ぐ大切な物質です。その情報源の中身をご紹介しましょう。

 日本人中年女性131名を対象とした検討の結果、コーヒーおよびポリフェノール摂取量が多い人ほど顔のシミが少ないことが明らかにされた。ネスレ日本の福島洋一氏らが報告したもので、「コーヒーは、日焼けによる皮膚の老化の予防に役立ち、クロロゲン酸を含むポリフェノールにはシミにみられる色素過剰を減じる可能性があると思われる」とまとめている。International Journal of Dermatology誌オンライン版2014年7月11日号の掲載報告。



 研究グループは、健康な日本人中年女性のコーヒーおよびポリフェノール摂取の皮膚への影響を調べるため、食事、環境要因、皮膚の状態について断面調査を行った。各被験者の頬で、皮膚の含水量、経表皮水分蒸散量および弾力性を非侵襲的方法(=体に危害を加えない方法)で測定し、デジタル写真を用いてしわとシミの評価を行った。



・試験には、健康な非喫煙で、日常生活における日光への曝露は中程度の30~60歳女性131名が参加した。アンケートにより食事、飲料摂取、生活状況を調べた。

・コーヒーと総ポリフェノール(全ソースおよびコーヒーから)の摂取量は、シミの評価スコアの低下傾向と統計的に有意な相関を示した

・コーヒーまたはクロロゲン酸からの総ポリフェノール摂取量が高値である被験者(三分位最高位群)は、紫外線によるシミの評価スコアが最も低かった

・以上のように日本人中年女性において、コーヒーおよびポリフェノール摂取は顔のシミと関連していた。



 さて、以上ご紹介したように、コーヒーは美容に良いと考えていいでしょう。しかし過ぎたるは及ばざるがごとし。バルザックと言う小説家は毎日50 杯以上の濃いコーヒーを飲む習慣を持っていましたが、51歳で亡くなりました。朝起きるとコーヒーを牛飲し、夜遅く執筆、そして疲れを押して社交界に出入りし、馬食したということです。



 晩年(と言うほど高齢にはなりませんでしたが)、その大喰らいのために糖尿病になり、失明、そして腹膜炎で死亡しました。いくらコーヒーがお肌に良いと言っても、そんな生活をまねてはいけません。虎は死して皮を残す。バルザックは死して小説を残しましたが、膨大な借金も残しました。やはり真似てはいけません。



 余分なことかもしれませんが、付け加えておきます。この研究を行った人がネスレ・ジャパンの社員だとの事、ネスレ社は本邦において《違いが分る男の》インスタント・コーヒーを販売しています。その会社の社員がコーヒーは体にいいよという研究論文を発表したのですから、その結果について多少のバイアスがかかっていたと見るほうが妥当かもしれません。理論的に考えて妥当性のある結果ですので、疑ってかかるのは若干神経症的な態度かもしれませんが、研究を公明正大にしようと思うと、そんなところも引っかかってくるのです。



2014年11月6日木曜日

朝は王様のように


 いきなりですが、ひとつお聞きしたい。どんな食生活を送っていますか?最近話題になっているのは糖質制限食と地中海食です。糖質制限食というのは食事から炭水化物を減らそうというもので、1130g程度に制限すると効果が出るようです。このことについては一月ほど前のブログで取り上げています。太り気味の方はぜひ実行してみてください。今回はもうひとつの地中海式ダイエットについて取り上げてみたいと思います。

 地中海式ダイエットとは、簡単に言うと地中海に住む人たちの食生活を取り入れるということです。ナッツや野菜にオリーブ油をメインにしたドレッシングをかけて食べる。魚の調理にふんだんにオリーブ油を使う。毎日食べるのは全粒粉の穀類を調理したもの(全粒粉のパン、玄米、全粒粉パスタ)、イモ類など、フルーツ、野菜、豆類、オリーブ油、チーズ、ヨーグルト。週に一度程度食べるものが魚、鶏肉、卵、デザート。赤身の肉は月に一度、アルコール性飲料は赤ワインを週に2,3回程度。いろんな大規模調査で、この食事法が健康にいいと分かってきています。

 そして、こうした食事の一番豊かなものを朝にもって行きます。ヨーロッパの健康に関する民間伝承には『朝は王様のように、昼は普通の人のように、そして夜はこじきのように』食事を組み立てるのがよろしいということが囁かれています。多くの人は、仕事から解放された夜にご馳走を食べたいし、ちょっとアルコールなどを摂取して多少自制心のたがをはずしたいと思っています。そしてそれは健康にとってあまり感心できないことです。

 起床時刻を1時間早めて、ゆっくりリッチな朝食をとる、そして一日の行動の予定などをチェックし、朝の貴重な時間をゆったり過す。そういうのはどうでしょうか。そのためには就寝時刻を一時間早めないといけません。言うは易し、行うは難しと言いますが、私はその半分ほど実行しています。私の朝食の写真をご披露しましょう。右上の写真はちょっと出来損なったフレンチトーストです。私は単身赴任で自炊していますが、この程度の朝食をそろえるために45分もあれば充分です。



 朝は王様のような食事を、と言いましたが、ある友人に『王様は夜遅くまで贅沢三昧で胃袋が疲れているので、朝食をとらない』などと突っ込まれました。確かにそれも一理ある…物事には必ず裏があると言うことの実例でした…?


2014年10月30日木曜日

歩行と膝関節症


 人は2足歩行します。4速歩行の際に、地面から離れている足が常時2本なのか3本なのか、あるいは1本なのか、そのあたりの事情は知りません。孫を背中に乗せてお馬さんごっこなどやってみても、動物の4速歩行とは似ても似つかぬ歩行形態ですので、参考になりません。二足歩行の際は、常にバランスを崩しながら立て直すということをやっています。どちらの足が接地しているときも体の重心は足の内側にあり、そのために膝関節の内側に余計に体重がかかります。

 ですから長いこと歩いていると、膝関節の内側が余分に磨り減って俗に言うO脚になります。そしてO脚になるとよけいに内側に荷重がかかり、そのために関節の内側の軟骨面が磨り減りやすくなるのです。そして関節軟骨がほぼなくなってしまうと、ひざの屈伸のたびに激痛が襲う…それへの対抗手段として、膝の関節内にヒアルロン酸を注入するという治療法があります。ヒアルロン酸は潤滑油であると同時に抗炎症作用という性質を併せ持っています。

 従って、関節包内で骨質がこすれて起こる炎症を鎮めますので、関節軟骨磨耗の初期にはある程度効きますが、完全に磨り減ってしまうと、その効果もかなり限定的になってしまいます。ではどうすればいいか。こういった変形による不都合はそれが起こってから病院で対症療法をするよりも、起こらないように工夫することのほうが快適に過ごすことが出来ますし、たいていお金もかからない。起こらないような工夫を以下に述べます。

 歩行は先に述べたように片方の足を前に出すときにバランスを崩しながら動的にバランスを保っているので、その一歩一歩を出来るだけO脚にならないようにする。女性だったらモンロー・ウォークなどという言葉でおなじみでしょう。一本の白線の上に足を交互において歩く。その際交互に足を出すときに両膝がこすれあうようにする、その心がけだけで、O脚になるのをずいぶん遅らせることが出来るはずです。

 男の子は中学生くらいの年頃のときに、妙にいきがって足を逆ハの字にしてO脚で歩いたりしている人がいますが、将来の変形性膝関節症予備軍かと思うと、ため息が出てきます。人工関節にかかる実費は片方で100万円をくだらないのです。高齢者だと、一割負担だから10万円の出費で済みますが、いろんな制限が出てきますし、残りの90万円は保険のほうからの負担で、これも人工関節の部品を作っている会社は潤いますが、全体としては国が潤うものではありません。それより、モンローウォークでいつまでも背筋を伸ばして元気に歩いているほうが何層倍もいい気分でいられる、そう思いませんか。


2014年10月23日木曜日

コレステロールの話


 コレステロールはステロイドという物質群のひとつで、体内の細胞膜を構成する、ステロイドホルモンの主要構成因子になるなどの重要な働きをしていますので、コレステロールを忌避するという態度は感心しません。巷では善玉コレステロールと悪玉コレステロールについて云々されていて、善玉を上げ、悪玉を下げるにはどうしたらよいかと質問されることも時々あります。今回はそのコレステロールについて考えていって見ましょう。

 ウィキペディアによりますと、『いわゆる「善玉/悪玉コレステロール」と呼ばれる物は、コレステロールが血管中を輸送される際のコレステロールとリポタンパク質が作る複合体を示し、コレステロール分子自体を指すものではない。善玉と悪玉の違いは複合体を作るリポタンパク質の違いであり、これにより血管内での振る舞いが変わることに由来する。これらのコレステロールを原料とする複合体分子が血液の状態を計る血液検査の指標となっている。』とあります。

 このコレステロールは食事から摂取されるものではなく、体の中で合成されます。これはデンプン質や塩分などと大きく違うところです。デンプン質は個別に吸収された炭素とか水素などが体内で合成されてブドウ糖などに変化するわけではないのですが、コレステロールは吸収された構成要素が体内で合成されて出来上がるのです。そして血漿中のリポ蛋白にくっついて体のあちこちに運ばれます。約3割ほどが脳神経系に分布していると聞いたことがあります。

 このコレステロール、善玉とか悪玉といわれているのですが、この善玉・悪玉を分けているのはコレステロールではなく、血漿中のリポ蛋白です。コレステロールとくっついているリポ蛋白の性状の違いで血管内でのコレステロールの挙動が違ってくるのです。それにデンプンや脂肪と異なり、コレステロールには貯蔵庫がありません。ですから余剰コレステロールは問題になりやすいとも言えるのです。

○○を食べる(飲む)とcholesterolを下げることが出来る、などという風評はかなり一般的です。例えばリノール酸を摂取すると悪玉コレステロールが下がるといわれていました。リノール酸はサフラワー油とかコーン油に多く含まれています。だからといってサフラワー油をごくごく飲み込んだらどうなるか、多分下痢になって体外に排出されることになるでしょう。それに近年の研究でリノール酸に上記のような効果はなさそうだとも言われています。

 中性脂肪が上ると悪玉コレステロールも一定の割合で上ります。しかし常識的な食生活をしている限り、それほどひどいことが起こるとは考えられません。常識的な食生活とはすべての食事をジャンクフードで済ませるとか、お酒と少量のつまみだけで過すといった極端な食生活を避けるということです。その地域で昔から取れている野菜、海草、肉と魚を極端に濃い味付けを避けてよく噛んで美味しく頂く、そして体を動かし、時々日の光を浴びて生活していくことが一番いいのではないでしょうか。体の一部が極端に老化するのではなく、全体が同じようなペースで老化していく、これが理想です。

2014年10月16日木曜日

早く歩くと長生きするか?


3年ほど前にメディカル・トリビューンという医学系雑誌で『高齢者の歩行速度と生存期間が関連』という記事を読んだことがあります。高齢者のケアなどの計画を立てるために、余命について予測することで、より効果的な対応が可能になるとの立場から、Studenski博士らが歩行速度と余命についてメタデータの解析を実施したというもの。居酒屋での雑談だったか、食事中だったかに友人にこの研究のことをしゃべったことがあります。

 それを聞いて、一人が『じゃあ、早く歩くようにしなくちゃ』と応じたのです。そのとき私は別段反論をしませんでした。しかし、その速歩氏は統計結果について、因果関係と前後関係、相関関係について重大な思い違いをしているなと思ったものです。例えば身長と体重で考えて見ましょう。一般的にいって身長の高い人は体重も重い。もちろん長身の割りに軽量級の人もいますし、逆に背が低いのに重量級という人もいます。しかし1000人ほど無作為に集めて、身長と体重をX-Y平面にプロットすると、まず間違い無しに正の相関を示します。しかし誰も身長を伸ばすために体重を増やそうとは考えない…

 歩行速度と余命についても、この調査結果は『早く歩くことが寿命を延ばす』といっている訳ではないのです。観察結果として、通常歩行の速度を測定すると、その時はやく歩いている人のほうが長生きという結果を観察したというもので、速歩によって長生きできるというものではありません。もっと有り体に言えば、高齢になっても早く歩ける人は多くの場合、とても元気だから長生きしているということであって、速歩によって心血管系が鍛えられて、長期間いろんな臓器がちゃんと働くようになるというような理屈を述べているわけではありません。

 この世の中には、単なる相関関係と因果関係が分かり難いものが多くあります。中には、両者を取り違えるように誘導するようなものもあります。気をつけましょう。誰かが何かを主張するとき、その背後に何か隠れていないか、それを見る眼を養っておくことはさまざまな局面で正しい選択をするときに必要なことだと思うのです。


2014年10月10日金曜日

病人と医療の関係


 私たち医療従事者は基本的に西洋風の医療の知識を教えられてきました。その西洋風の医療についての知識や考え方も、実は最近今日の考え方の基礎が出来上がってきたのです。それまではどちらかというとウィッチドクターというか、現在の我々の眼から見るとかなり奇異な、そして一般的な了解の得られないような見方をしていました。現代にも残る『悪液質』という呼び方にその当時の病に関する人間の捉え方というか、生命観が現れています。

 むかし、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の4種類を人間の基本体液だと考えられていました。そして人間の身体には数種類の体液があり、その調和によって身体と精神の健康が保たれ、バランスが崩れると病気になるとする考え方(体液病理説)一般的で、古代インドやギリシャで唱えられたそうです。インドからギリシャに伝わったとも言われています。この考え方は、病理解剖学が現れる19世紀あたりまで一般的でした。悪液質という呼び名も、この体液病理説に沿ったネーミングです。

 病理解剖によって、人体の組織と疾患が対応付けられるようになると体液病理説は姿を消していきましたが、その代わり、病における症状は病の本質を表すものと偶発的なものとに分けられるようになっていきます。例えば、上気道感染における体温上昇はその感染症の本質的な部分ですが、その熱の上り方の個体差は偶発的なものとされます。そして病を理解するためには個体差にあたる部分を出来るだけ切り離して、本質的なところだけを見るようにするという姿勢が一貫してとられる様になります。

 つまり、我々が正確に診断するために持つべき『まなざし』は、個々の病からその本質を抽出するべきであり、一人ひとりの病気の具体的な症状にとらわれるべきではない、とされるようになりました。診察室でのさまざまな検査や問診などは、従って、出来るだけ一人ひとりの生活史と無関係に、没個性的に行うのがいいという風潮が出来上がっていったのです。そのことが『病院で人間扱いしてくれない』という不満が出ることにも繋がっていきます。

 診断は無機的、没個性的、非人情にというのが大まかに言って近代以降の臨床医学の要求だったのです。最近、認知症など、人間の心を扱う分野では、没個性的に、機械的に、客観的学問の装いを前面に出して、というのが間違いではないかといわれ始めています。それがユマニチュードという言葉とともにフランスから取り入れられようとしています。これについてはまたこのブログで取り上げることもあると思います。

2014年10月2日木曜日

糖質制限ダイエット


 ここで糖質とは炭水化物のことです。炭水化物制限ダイエットといったほうが正確なのですが、糖質制限ダイエットのほうが言葉の響きが良い、といったことでその様な語法が定着したのだと思います。糖質制限ダイエットとは、従って、甘いものを我慢するダイエットのことではありません。このダイエットには二つの潮流があるようです。ひとつはアトキンスと言う人が言い出した方法で、炭水化物を120g以下に押さえる。にんじんやジャガイモだけではなく、たまねぎなどにも炭水化物は含まれていますし、小松菜やほうれん草などの葉物野菜にもわずかに含まれています。

 だからアトキンスさんの言う方法に従うと、かなり食べ物に不自由します。それに食生活がかなり偏ったものになりそうです。加工していない肉や卵には炭水化物がほとんど含まれていないので、どうしてもそういった動物性の食べ物に偏るのです。もう一方の方法はリチャード・バーンスタインと言う人が唱導したもので、炭水化物を1日130g以下に抑えるもので、これはほぼ全員が実行可能なものです。私もかぼちゃや根菜類の使用をある程度控え、ご飯は一食に1/4合としています。

糖尿病関係の医師の中には糖質制限ダイエットに反対する人もいます。食べ物が関係しているからでしょうか、推進派と反対派の意見の対立は学者らしい冷静なものとばかりは言えない様な局面も見えます。糖質制限が二人の立ち位置の違う医師によって唱えられたので、反対派の人たちの反論が若干の混乱を見せています。その多くは、アトキンス・ダイエットで心血管系の病気が助長されると言う観察結果(それも正式に万人から認められたものではない)を見て、糖質制限食全般を攻撃すると言うものです。

いろんな人の千差万別のライフスタイルで、一律にこうしろとは言いにくいのですが、柔軟に考えていけばいいと思います。サラリーマンだったら、朝トーストを一枚くわえたまま玄関を飛び出すなんてこともあると思いますが、牛乳一杯をそれに付け加えることでそれほど時間ロスが生じるとは思えないので、牛乳を飲むようにする。昼は職員食堂で簡単なものを食べる(例えばうどん)のであれば、夕食では野菜と肉・魚だけにして、ご飯類を避けるといい具合に糖質制限ダイエットが出来ます。

私は、この食事法をほぼ8週間ほど続けていて、体重が1.5kgほど減りました。一年続ければ9kgほど減るはずです。これが取らぬ狸の皮算用になるか、ちゃんと9kg減って足取りが軽くなるか、一年後にもう一度、結果をご報告したいと思います。

2014年9月25日木曜日

貧血と地域の暮らし


 こどもが朝礼などで炎天下に立たされてひっくり返ることがあります。「貧血で○○君が倒れちゃった」などといいますが、これは医学的には貧血ではありません。立ちくらみ、医学的には起立性低血圧と言い、急激な体位の変換に自律神経がついて行けずに、血液が頭に届きにくくなったり、長時間の立位に対して下半身に集まる血液をうまく心臓に返してやることが出来なくなることが原因です。成長とともに自律神経はちゃんとしてきますので、こうした立ちくらみは減っていくはずです。

 先進国の中で日本は鉄欠乏性貧血が多いといわれています。いろいろ思い至る点はあるのですが、今日は別の話です。昔アフリカのある内陸部の部族の住民が全員鉄欠乏性貧血で、それもかなり重症だったそうです。キリスト教の布教活動は強烈だから、そういう奥地にも神父さんが入り込んでいく。そして貧血の原因が鉄分の不足だと気付いた訳です。宣教師さんたちはとても親切で、彼らの貧血を直してやりたいと言う善意で、鉄なべによる調理を広めました。

 数年後か数十年後か知りませんが、その部族が全滅したと言う記録が残っているそうです。なぜ全滅したか?鉄のせいなのです。鉄分は赤血球を作る際に必要欠くべからざるものですが体内で病原体が繁殖するにも欠くべからざるもので、キリスト教によって導入された鉄鍋調理のために、血清鉄が上昇し、マラリアが体を攻撃するようになった。それまでのひどい鉄欠乏性貧血の状態では体内に入り込んだマラリア病原体が増殖できなかったのに、キリスト者の『善意』のために、その部族はマラリアで全滅してしまったと言うことのようです。

 この話は井村裕夫著:『人はなぜ病気になるのか―進化医学の視点』と言う本に紹介されていました。ずいぶん昔に読んだものなので、内容の大部分は忘れてしまったのですが、鉄欠乏性貧血の話はとても印象に残っていたので覚えています。各地域の暮らし向きはその地域の食生活などと密接に結びついていて、全国基準となった検査で異常と思われるものがその地域では問題ないものである可能性が隠されているかもしれないと思うのです。

 それを無理に正常化するために何らかの薬物の投与や、食事内容の改変を『指導』することで、もしかすると先に述べた例のような事態を引き起こさないとも限りません。いろんな『正常値』があり、その地域の生活の全てを知らないと、本当の意味での地域密着の医療は出来ないものだ、そんなことを考えた一日でした(それってものすごく暇なんじゃ?と言う突っ込みはご勘弁)。


2014年9月18日木曜日

マダニの話


 マダニというたちの悪い病原性医動物が草原、森林などに生息しています。ウィキペディアというネット上の百科事典には次のような記載があります。『マダニはハーラー器官と呼ばれる感覚器を持ち、これらによって哺乳類から発せられる二酸化炭素の匂いや体温、体臭、物理的振動などに反応して、草の上などから生物の上に飛び降り吸血行為を行う。その吸血行為によって、体は大きく膨れあがる』

 このマダニに咬まれた症例を私はこれまでに3回診ました。ひとつは噛み付いて吸血し、体が赤黒く膨れ上がった状態のもので、細いピンセットを頭の近くに差込み、皮膚から慎重に吸血器官を引っこ抜いて事なきを得ました。残りの二つはマダニに咬まれた傷跡が化膿して直径5cmほどの化膿した組織の塊を見たのですが、話を詳細に聞くとどうやらマダニ咬症だったようです。

 このマダニという奴は日本紅斑熱、Q熱、ライム病、回帰熱、ダニ媒介性脳炎、重症熱性血小板減少症候群などたちの悪い疾患を引き起こす可能性があります。もし体の一部に小豆くらいの大きさの赤黒い丸い塊が出来ていたら、自分で取ろうとせずに医療機関を受診してください。癪に障るので自分で一矢報いたいとの向きは、マダニの周辺に空気が残らないように完全に覆うようにメンタムを厚く塗り、小一時間放置。マダニが窒息したらメンタムごと剥がれ落ちますが、このとき残っていたら引き千切らずに受診すること。

 昨年、豊岡病院でもマダニ咬症のために死亡した例が報告されています。マダニ咬症はとても怖い病気なので、たかがダニだ、などと侮ることなく、直ちに受診してください。マダニは耳たぶや陰部に好んでくっつきます。野山を歩くときには完全に体を衣服で覆って、マダニが入ってこないようにするなどの注意が必要です。ソケイ部に食いついたマダニを見つけたら、陰部を見せるのは恥ずかしいなどと躊躇わないで、直ちに受診する事。命に関ることだからです。


2014年9月4日木曜日

ドラッグストアでの血液検査



ドラッグストアやスーパーで手軽に血液検査ができると言う事になりそうです。もしそのお店のスタッフなり、臨時職員などが採血すると医師法に引っかかるので、自分で指の先を切って少し出血させて、それを測定に使うと言う事らしいのです。この新制度には問題がたくさんあります。もともとこの制度を導入するのは膨らみ続ける医療費を抑制するためとのことですが、かえって医療費を膨らませることになるかもしれません。私がこの制度に危惧感を抱く理由を挙げていきます。

1. 測定精度の問題。皮膚を小さく傷つけて出血させ、それを集めて分析に回すとのことですが、皮膚の表面に付着している汗などの影響は、採集する血液が少ないほど受けやすくなる。採血は静脈からと言うのが正確さの上では大事です。しかも、採血部位によって検査結果が異なります。たとえば動脈採血と静脈採血で結果が異なります。血液検査はそれほど微妙なので、指の先からなどと言う、今まであまりやっていない方法だと、基準となるデータがないので、正常値や異常値の境界があいまいになります。

2. 一般的に言うと、検査結果を見て自分の体の状態を判断することはできないだろうと思います。当然です。ご自身の専門分野ではないのですから。そして検査結果を伝える、お店のスタッフなどが、したり顔で「高脂血症ですね」とか「悪玉コレステロールが高いですね」などと助言をする場面が目に浮かんでしまいます。一知半解と言うか生兵法と言うか、とても危ない事です。

 例えば悪玉コレステロール(以後LDLと書きます)が高い値を示したとき、自動的にその薬であるスタチン系の薬物を処方する訳には行きません。LDLが高くなる原因としてはそれがたくさん作られる場合と、分解されにくくなる場合に分かれますが、後者の場合にスタチンを処方してもさして効かないからです。日常診療の中で、かかりつけのお医者さんが毎月一度顔を見ながら(時に諸検査をして)判断することです。漫然とスタチンを投与しながら、どんどん病状が悪化するのを放置、と言う可能性があります。

3. 血糖値が高いと言って、血糖降下剤を勝手にお店で処方したとしましょう。どの程度の高血糖に対して(肝機能、腎機能などの精査が必要)どの薬を処方するかと言うのは、とても難しい。全く効かないのも困るけど、低血糖発作のせいで植物状態になるのも困ります。そうした危険な薬剤を売りつける訳ではないとしても、妙なサプリを売りつけて売り上げ倍増、ほくほく顔と言うのはお店だけです。

 TVの宣伝でも注意してみていてください。どのサプリも特定の病気に有効、とは言いません。TV視聴者が勝手に有効であるように勘違いさせる言い回しと動画を組み合わせているのです。たいてい痛くなるのは腰とか膝とか肩です。その辺をTV画面上で軽妙な音楽に合わせて動かしながら、明るく運動している場面をかぶせる。そして○○で健康に!などと言って、○○がその整形外科領域の疾患に有効であるように見せているのです。

 しかし○○に有効、と言うためにはまず動物実験をして、安全性を確認し、次にボランティアを募って人間で安全性を確認し、それから大規模な臨床実験を経る必要があります。 サプリはそのすべての行程をすっ飛ばしていますので、「有効」と言ってはいけません。皆さん、頭髪が薄くなってきたときに髪の毛を食べれば自分の頭が少し濃くなってくると思いますか?関節の痛みに対して、関節包内の成分を服用するのは、髪の毛のたとえと似ています。

4. 指先に小さな傷をつけて出血させる、そのことが「血管迷走神経反射」を引き起こすこともあります。これは最悪の場合、心臓の拡張状態での停止を引き起こすので、非常に重大な副作用と言っていいでしょう。気分が悪くなったと言って備え付けのソファに横になって、30分ほどしてお店のスタッフが声をかけたら冷たくなっていた…そんなことが起こる可能性も否定できません。この血管迷走神経反射には特効薬がありますが、それは注射薬なので、医師以外が行うと医師法違反になります。

5. 感染の問題もあります。消毒をきちんとしていないと感染する可能性があり、最近かなり一般的になってきたMRSAなどによるものだと、とても厄介です。特にお年寄りの方などは抵抗力が落ちていますので、MRSAによる感染症が致命傷と言う事もあるかもしれません。

 以上のようにドラッグストアやスーパーでの血液検査はかなり疑問の残るものです。なぜ、このような方法を導入するのか。病院の窓口で支払う際には保険が適応されますので、実際にかかった費用の3割、高齢の方だと1割(もうじき2割になるかも)です。残りは国庫から、政府はここを節約したい。ドラッグストアで検査する場合には保険適応になりませんから、国庫の負担は減ります。そしてサプリを購入して、プラセボ効果である程度病気がよくなると、これも医療費の抑制になる、そう考えたようです。

 絶対にスーパーで採血して血液検査してはいけない、とは言いません。しかし誰も責任をとらない大きな危険が口を開けていることを忘れないでください。もちろん、どうにもならない段階まで病が進んで、病院でベッドに縛り付けになってから臍を咬むというのは処世訓としてもあまり感心しません。自分の命、自分の健康です。妙な宣伝に乗っかったり、妙な思い込みで行動しないでよく考えてから結論を出しましょう。

2014年8月28日木曜日

原付と自動車の接触事故



 外来で時々交通事故の負傷者を診る事があります。特に原動機月自転車と自動車の事故はどちらが悪いかということとは関係なく、二輪車に乗車していた人がひどい怪我をしていることが多い。体がむき出して、転倒したり接触した場合に、それが即座に体の一部の外傷となるからです。そして交通事故に限らず、体に外力が加わって負傷する際には、その負傷にいたった時点で太古からの防衛本能といいましょうか、体が自動的に戦闘モードに入ってしまうのです。

 ここで言う戦闘モードとは相手をぶん殴りたくなるということではありません。血液中にアドレナリン、ノルアドレナリンといったホルモンが分泌され、体の各臓器がそのホルモンたちの働きで、最大限の働きをするようになっていくのです。心臓はドキドキと早い脈を打つようになります。手に汗がにじむのは棍棒を握ったときに滑り難いようにです。人間には体毛が犬や猫ほど豊富にありませんので目立ちませんが、皮膚表面は鳥肌が立つのが分かるようになります。

 鳥肌が立つのは、体毛を起立させるための小さな筋肉の働きですが、これは毛が立つことによって外形が大きく見えるようになる、そのためのメカニズムです。猫が犬などを見たときに背中を丸くして両足の間隔を狭め、正面から見たときに背丈が高くなったように見える、そして総毛立つ事で横幅もサイズアップして見えるようになります。敵に対して何らかの威嚇作用があることを期待してのことです。そして、これはとても重要なことですが、戦闘モードになると、痛みに対して鈍感になります。

 負傷して来院したときにはそれほど痛く無いので『たいした事無い』とたかをくくっていたのに翌日になったらとても腰が痛くなったというのも良く見ることです。だから病院では一見大丈夫そうに見えてもあちこちの検査をします。頭はとても大事ですから、脳挫傷とか脳内出血の兆候が無いかどうか、CT検査もします。これは過剰な検査ではなく、後になってどこかが痛いといっても、その時点で因果関係が分からなくなるから、事故からあまり時間のたっていないときに調べておく必要があるのです。

 原付に乗っていて、後ろから自動車が迫ってきたら、とりあえず路肩にバイクを止めてやり過ごしてください。追い抜かれるのがイヤなら250ccかそれ以上の排気量のバイクに乗って、風を切って走ってください。人それぞれ、いろんな事情があって車のスピードを調節して走っています。自分が30kmで走りたいからといって、後続車両に30kmを強制するのはあまり感心できません。そういう場合には道を譲るというのがエチケットですね。

 スピードを緩めると、二輪車は不安定になります。ですから、車に追い越してもらおうというときにはスピードを落とすのではなく、停車すること。これが安全に走る基本です。そして怪我を避けてください。怪我をすると痛いし、時には体の機能が完全には戻らない事だってありえます。そしてその後検査や何かで時間をとられるし、時として警察に走行中のことなど訊かれて多少むっとする事だって無いとは限りません。痛い思いをして損をする、その後でまた不愉快な思いをする、事故を起こすとろくなことは無いのです。

2014年8月21日木曜日

ダーウィンと現代の農業


 ダーウィンと言う人が『種の起源』を世に問うてから150年以上経っています。150年前と言えばわが国では井伊直弼氏が暗殺された頃ですね。強固な身分制の中で足掻いていたわが国の学問と、新興ブルジョワジーによって自由に議論されるようになった彼の国の学問の違いを見てしまいます。『種の起源』からは、自由競争、適者生存、弱肉強食などの言葉を思い浮かべることが多いと思います。

 読んでみれば分かるのですが、『種の起源』は決して動物が血で血を洗う闘争の歴史を描いているわけではありません。むしろ後にわが国の今西錦司氏などによってポピュラーになった『棲み分け』のほうがその実情を正確に反映しているようにも思えます。今西らが用いる『棲み分け』は生態学で使われていた『棲み分け』とは少し意味が異なりますが、その辺は枝葉末節になるのでカット。

 その適者生存ー棲み分けを分かりやすい例を挙げて説明してみましょう。今西らが取り上げた例で彼らの学説を説明するのに好んで取り上げられるのは陽炎に関するもので、次のような観察事実が出発点になっています。
「カゲロウ類の幼虫は渓流に棲むが、種によって棲む環境が異なると同時に、異なる形態をしている。具体的には
●流れが遅く砂が溜まった処に生息する種は砂に潜れるような尖った頭をしている。
●流れのあるところに生息する種は、泳ぐことに適した流線型の体をしている。
●流れの速いところに生息する種は、水流に耐えられるように平たい体をしている。
このようにそれぞれが棲み分けた環境に適応し、新たな亜種が形成される」

 もっと分かりやすい例を挙げてみましょう。わが浜坂病院の東側、小児科外来の外に美しい芝生が広がっています。いかにも気持ちよさそうで、手入れが行き届いていると思いますが、どうしてこの芝生に雑草が生えてこないのか。たいていの雑草は芝よりも自然状態では強い。だから雑草のほうが生存競争に勝ち残るはずです。ところが、定められた区画に芝を植えた場合、その区画には定期的な『芝刈り』と言う生存への圧力が加わります。この苅込には芝のほうがほかの雑草よりも強い。だからほかの雑草たちはそうした生育環境で芝に負けてしまうのです。

 さまざまな養殖や特定の作物を育てる場合、その目的の作物や魚介類以外にとって不利になるような環境を作ってやる。そういったやり方はいろんなところで実行されており、農薬を高濃度にまくよりもずっと健康的な食料を得ることが出来ます。有機リン系の農薬で病害虫を駆除したお米と、合鴨農法で病害虫を駆除したお米と、皆さんはどちらを食べたいでしょうか。この合鴨農法も広い意味で雑草や病害虫に対する環境の圧力と捉えれば、その理論的な基礎はダーウィンによってもたらされた物です。

 まだ、秋の夜長と言うには気が早いようにも思いますが、時には『種の起源』など、古典中の古典を紐解いてみるのも良いのでは無いでしょうか。ただし、古典といってもニュートンの『プリンキピア』はお奨めできません。微積分学の専門的知識が必要となるからです。


2014年8月14日木曜日

腰痛や肩こりなど、痛みの悪循環

  体のあちこちにある痛覚のセンサーに刺戟が加わると、そのセンサーから神経を介して脳に痛みの情報が伝えられます。痛みは体の各部位に配置されたセンサーへの刺激の結果引き起こされるものです。それにどこか局所の痛みが発生すると、その部位の細い動脈が収縮して血行不良を引き起こし、組織が酸素不足になり、嫌気性代謝産物(若い頃など急な運動のあとの筋肉痛の原因になった物質=乳酸)が蓄積します。それがまた痛みの原因になるのです。

 そうなると、痛みの本来の原因が無くなっても、新たな原因で痛みが持続することがあります。痛みがいつまで経っても消えない。そういう痛みの場合、痛みの一番ひどいところに局所麻酔薬を注射することで一時的に痛みを消してしまえば、その間に血管が開き、その近傍の血流が再開し、嫌気性の代謝産物を洗い流すので、痛みが嘘の様に消えると言う事が時々見られます。痛みの大元の原因が残存する場合でも、本来の痛みだけになります。

 腰痛の場合は腰の周りの筋肉を鍛えて『筋肉のコルセット』を作り上げましょう。これは市販品のコルセットのように取り外しすることは出来ませんが、常にあなたの腰を守ってくれます。まだ腰椎の圧迫骨折が生じていなければ、この腰痛体操は有効です。腰痛などでお悩みの方は当院麻酔科を受診してください。腰痛体操による『筋肉コルセット』の鍛え方なども私が実演してご伝授いたします。

 先に述べた局所麻酔薬の注射は筋肉を覆う筋膜の直下に行うのがミソです。どこが筋膜か、微妙な手ごたえで分かるのです。すると少量の薬剤が広範囲に広がりますので効きがよい、無神経にその辺に注射針を刺して、薬剤を注入しても期待したほどの効果が見られません。誰がやっても同じような効果が出ると言う手技ではないので、トリガーポイント注射には手技に伴う結果の違いが出るのです。



2014年8月8日金曜日

アルジャーノンに花束を:ダニエル・キース


 医学を扱った小説をご紹介したついでに、もうひとつ小説をご紹介しておきましょう。ダニエル・キースという人の書いた『アルジャーノンに花束を』という作品で、SFに分類されています。確かにSFとしての要素を持っていますが、私は介護とか老化と言った問題に焦点を当てた小説として読み解くことができるのではないかと思っています。小説の大まかなプロットは次のようなものです。

 ある町にチャーリーという知恵遅れの青年がいた。知能指数が60前後で、当然自立した生活など出来ない。町のパン屋で簡単な仕事をしてみんなをほのぼのとした気分にさせながら暮らしていた。あるとき、野心的な脳外科医が、ある手術をすることで知能を大幅に伸ばすことができるが受けてみないか、とチャーリーに持ちかける。賢くなることに強い憧れを持っていたチャーリーはその手術を受けてみることにした。

 知能指数を60に押しとどめていた枷が外れ、チャーリーはどんどん知識を吸収して天才になっていく。その脳外科医師がチャーリーを使って人体実験をしたのだが、その前に行った動物実験でネズミが高度な知能を有していた。そのネズミにはアルジャーノンという名前がつけられていた。そのアルジャーノンが時々妙な動きを見せるようになった。どうやら実験によって操作された脳内に何らかの問題が生じて、実験の副作用として不可避的にたどるコースだと思われた。

 破局を回避するためにさまざまな試みがなされるが、万策尽きて彼は自分の未来を知る。将来自分が入るはずの介護施設を見学し、自分の出自を探り、下降線をたどり始めた自分の能力をわずかでも保つために難解な書物を読みふけり、さまざまな足掻きを見せる。しかし破局は目前に迫ってくる…とまあ、そんな小説です。現実にありえない脳内操作によって知能に制限を加えていた枷を取り除き、知能を飛躍的に伸ばす、という発想はSF的です。

 いろんな視点で読むことができますが、ここではちょっと変わった読み方をしてみましょう。幼い頃に成長とともに知的能力が伸び、やがて一定の時間の後に知的に退行する、その流れを普通我々は幼児期から老衰へと80年から90年かけて経験します。その期間をこの小説では数年のタイムスパンの中に押し込めている。この小説の中で、やがて自分が入所するであろう介護施設を見学に行くシーンがあるけど、私の友人の中に実際自分の入る老人ホームを見学に行って、それから契約した者がいます。

 老化は数十年のスパンで起きるし誰でも似たような経験をするので、歳を取る過程でそれほど焦らないけど、例えば若年性認知症だったらどうでしょうか。その様な問題を極端に圧縮して、当事者たちの姿を描いたのが本作です。この本の著者は少し前に亡くなりましたが、この作品は時代を超えて生き残っていくことでしょう。

2014年8月1日金曜日

医療を扱った小説




 医療を扱った小説として本邦で最も有名なのは何と言っても『白い巨塔』だと思います。タイトルが良いし、内容はエキサイティングだし、作者の医療に対する祈りのようなものもにじみ出ているように思うのです。しかし、私はあえてここではトールヴァルドという人が書いた『外科の夜明け』をあげたい。この本の内容は、一人の人物が麻酔や消毒という概念がなかった頃から1900年あたりまでの外科治療の現場を見て歩くという体裁で、実在の医師たちの苦闘ぶりを描いたものです。

 尿路結石から話が始まります。尿道を、魚を3枚におろす要領で裂いていって結石を取り出すのですが、その際に用いる手術器具が古い血のりで黒光りしているというところなど、かなりびっくりします。当時バクテリアという概念がなく、当然消毒という発想もなかったので、血のりで黒光りする手術道具というのは、その所有者が如何に百戦錬磨の経験者だったかを示す証拠のようなものでした。当然手術の結果は、運がよければ救命出来る(大半は感染症で死んでしまう)というものだったのです。

 歴史に沿って、消毒法が発見され、麻酔法が発見され、癌に対する胃切除が試みられるようになるといったことが語られていきます。そして圧巻はある年の冬、一人の男が暴漢に鋭い刃物で胸を刺されて昏倒します。しばらく時間がたって虫の息のその被害者が病院に担ぎ込まれる、その病院で心臓に対する処置を散々迷った挙句実行する、それが心臓に対する外科的な治療の第一歩だったというところでしょうか。1900年前後のことだったと思います。

 余談ですが心臓内部の手術は1940年代の前半に初めて成功しました。心房中隔欠損症に対する手術で、母親の循環系を体外循環代わりに使って手術をやりおおせました。つまり母親の動脈を子供の大動脈につなぎ子供の静脈からの血液を母親に返したのです。それから数年後にディスク型人工肺が実用化され、だんだん心臓手術がルーチンワークへと変わっていきます。ディスク型人工肺の頃はディスポでは無く、研修医諸君がステンレス類似の金属で出来たディスク一枚一枚をワイヤーたわしでゴシゴシ洗っていたと聞いています。

 話しは元に戻りますが、この本は長いこと絶版でした。最近ヘルス出版というところから新訳で出ているそうです。またこの作者は19世紀末から20世紀前半に活躍したザウエルブルッフの伝記も書いており、昔『大外科医の悲劇』という名前で出版されていました。この人はいくつかの大手術を世界で最初に成功させている、文字通りの大外科医です。現在は『崩れ行く帝王の日々 - 外科医の悲劇』というタイトルで再販されています。こちらも重い本ですが、いろんなことを考えさせます。お奨めしておきます。

2014年7月27日日曜日

熱中症・予防と対策

このところ異常な高温のために熱中症があちこちで報告されています。そこで、このブログの《号外》として熱中症の原因とその対策を考えてみます。

熱中症は体温維持のため機能を発動することが出来なくなり、いわば万策尽きた状態です。体温が上昇すると、体はどのような反応をするのでしょうか。

頭の中に体温を調節する中枢があります。その体温中枢に初期設定された温度よりも高くなっているよ、と言う情報が届くと発汗量を調節して、蒸発熱によって体温を下げようとします。また皮膚表面に分布している毛細血管への血流を増やして、全身の皮膚がラジェーターのように作用します。

熱中症と言うのは、汗をかきたくても汗が出なくなったり、皮膚表面近くを走る毛細血管への血流が増えない、あるいは増えても外気温が体温よりだいぶ高いので体温を下げる役目を果たさない、と言った状態の事だと考えられます。

体温が上昇すると、赤血球がとても壊れやすくなり粘度が高くなるし、血液凝固系も重大な影響を受けます。また、代謝が更新し、体の各部分での酸素の要求量が増えるのに、 血液はその本来の機能を果たせなくなるので、体の各部分で酸欠が起き始めます。そうすると、血管内血液凝固と言う状態になり、そうなるとほぼ回復不可能です。

注意点としてはまず水分を十分取ること。血液内に含まれている各種イオンに組成が似たものは吸収性が良いなどと言われています。大量に汗をかくような仕事をしている人は塩分をちゃんととる必要がありますが、一般には麦茶などで十分対応できるはずです。ただし、ビールなど、暑くてのどが渇いていると、とてもおいしいものですが、これは脱水を引き起こすので熱中症の可能性があるときには、絶対に飲んではいけません。

一般に熱中症はかんかん照りの強烈な直射日光下で起こりやすいように考えられているようですが、どんより曇って湿度の高いときのほうが起こりやすいのです。多湿で汗が乾かないので、蒸発熱による体温低下が妨げられ、さらに大量の発汗を来たすからです。だから、扇風機やクーラーは躊躇わずに使う必要があります。

夜、エアコンの温度設定は28~29℃で充分です。エアコンをかけると空気が乾燥するので、29℃でも十分涼しく感じられるのです。エアコンは電気がもったいないという考えは改めるべきです。なんといっても、電気代より自分の命のほうが遥かに《もったいない》からです。

また、昼間畑仕事に行くのは控えてください。特に直射日光が強く、風があまり吹いていないようなときには、直射日光は凶器だと考えておいてください。また、最初に述べた体温調節の仕組みは高齢者になるほど、働き方が悪くなるので、お年を召した方は特に熱中症に気を付けてください。

熱中症になって病院に駆け込むより、予防する方がお金もかかりません。エアコンの使用頻度が増えたことによる電気代の増加よりも、病院での診療費と薬代のほうが高くつきます。新温泉町のあたりは深夜になるとずいぶん涼しくなるので、エアコンは午前2時ごろまで動くようにタイマーをセットしておけば充分です。

一方、近親者がどうも熱中症になりかけているようだと思ったらどうするか。おでこ、両脇、鼠蹊部(股のあたりで動脈の拍動を触れる部分)に布でくるんだ氷水の袋を置いて冷やしてください。直接冷たいものを皮膚にあてないこと。そしてその状態で受診してください。

くれぐれも無理をせずに熱中症を予防しましょう。

2014年7月24日木曜日

高血圧と塩分


 ほとんどの方が、いろんな局面で『塩を減らせ』と言うアドバイスを聞いていると思います。高血圧に塩分はよろしくないからです。ではなぜ塩分が高血圧に悪いのでしょうか。塩分が体内に高濃度に存在すると、当然血管内にも分布しますので、血管内の高濃度の塩分は外から水を引き込もうとします。水が血管内に引き込まれると血液の量が増えるのです。

その過程で血液のヘモグロビンが薄まると、それを感知した造血細胞の活動が活発になって、最終的には最初と同じ濃さの血液が増えることになります。血液が増えると、心臓に帰っていく血液が増え、当然心臓から出て行く血液も増えるので、血圧が上り始めるのです。血圧が上り始めると、それに対抗するために血管壁が丈夫になります。すると、丈夫になった血管壁の抵抗を跳ね返して血液を隅々まで送るために、さらに強力に血液を心臓から送り出すようになります。

塩と高血圧の関係には当然個人差があります。昔、黒人奴隷はもともとアフリカの内陸部からつれてこられることが多かったらしいのですが、塩が摂りにくい環境で体に必要なナトリウムを出来るだけ失わないように体が適応していた。それがアメリカに連れて行かれて、ふんだんに塩を摂取するようになったので、たちまち高血圧になったのです。日本人はアメリカの昔の黒人奴隷ほど塩に過敏に反応するわけではないのですが3割くらいの日本人は塩分摂取にかなり敏感に反応するようです。

それ以外の人はいくら塩分をとっても大丈夫かと言うと、そうではありません。『比較的』鈍感なだけで、やはり塩分を無思慮に摂取しているととても厄介な事態になるので、塩の摂取は必要最小限にしたほうがいいのです。そして塩味の濃さに関する好き嫌いは大部分慣れの問題で、塩分を少なくした料理にもすぐ慣れます。漬物をしょうゆ漬けにしている人はいませんか?焼き魚にしょうゆをかけている人はいませんか?

漬物には醤油を使わない事、焼き魚はレモンの絞り汁で食べましょう。その方がおしゃれだし、健康に良い。レモン農家の人もそれで助かる。他所の人を助ける必要は無い?だったらレモンを庭に植えましょう。最初の2年ほどは寒さ対策のために鉢植えにして、冬は屋内に入れるなどの必要があるようですが、立派な樹木になった後はかなりの寒さに耐えるようです。あまり虫もつかないので、手入れは楽です。私は最初の年からレモンを地植えして枯らしてしまいましたが…

2014年7月17日木曜日

植物を騙す-腎臓を患う人たちのために

 腎臓の悪い人は、腎臓から排出することの出来る分子が制限されるので、細胞膜の電気的な活動に重大な影響を与える元素などについて、体に蓄積すると具合の悪い物の含有量を減らした野菜ができればとても好都合です。一番都合の悪い元素は常識的に考えるとカリウムです。これが体内に過剰に蓄積すると心臓が止まるなど、とても不都合なことが起こります。ところがカリウムは植物の生育にとって無くてはならないもの、当然その結果植物にはカリウムがたくさん含まれます。

昔メンデレー エフと言う化学者が面白いことに気付きました。水素、ヘリウム、リチウム、と言う具合に原子量の順番に原始を並べていくと、一定の周期でとてもよく似た元素が現れるという事実です。塩素と一対一で結合すると言う性質のある元素は原子量の小さいものから順に水素、リチウム、ナトリウム、カリウム、ルビジウム、セシウム、フランシウムとなります。

植物の生育にとってカリウムは必須、そのカリウムを植物の成長する過程で化学的性質がとても似ているナトリウムやルビジウム、セシウムとすり変えたらどうなるか、植物は騙されて、ナトリウムやルビジウム、セシウムなどをカリウムと勘違いしてせっせと組織内に取り込んでいく。ですから、植物に投与する肥料を途中で燐酸カリウムから燐酸ナトリウムや燐酸セシウムに摩り替えると、植物はそのまま成長を続けるらしいのです。

 ルビジウムやセシウムが体内でどのように代謝されていくのか知りませんが、ナトリウムの代謝なら、その安全性も含めて、わかります。カリウムをナトリ ウムに置き換えると言う方法をとって、低カリウムの野菜を作ることができる、そういう野菜なら腎臓の悪い人たちも、健康な人と同じようにさまざまな野菜を美味しく食べることが出来るのではないか、こういった野菜を育てるには、栄養成分を厳密にコントロールできる水耕栽培がやりやすいでしょう。

 その様な実験の出来る環境が欲しいと切実に思っていますが、現段階では無いものねだり。効率はずっと落ちますが、手作業で少しずつ試していきたいと思っています。簡単に作れるようになったらまたここでご紹介しましょう。そうしたら、腎臓の悪い人が自分で低カリウム野菜を作ることができるようになる、そんな日がくるかもしれません。

2014年7月10日木曜日

*二つの「ペスト」-その2*



江戸時代から 明治にかけてのコレラ大流行でも死者の数は10万人前後。当時のわが国の人口が4000万人前後でしょうから、ヨーロッパでのペスト流行時の死亡率を当てはめると1300万人から2700万人ほどが死んでしまうことになり、大惨事などという言葉では表せません。ヨーロッパでのペストの猛威は多くの人が「世の終わり」を本気で予感した、それほどの死者を出したペストです。ヨーロッパではペストを忌み嫌い、何か不吉なこととペストを結びつけるような心のメカニズムが深層心理の中に今も生き続けているようです。


ところでダニエル・デフォーと言う物語作家をご存知ですか。ロビンソン・クルーソーの著者です。彼はペストの流行がまだ制御できなかった時代に生きていました。そしてロンドンでの大流行を経験します。そのときの記録(これまた「ペスト」と言うタイトルです)がドキュメンタリーなのか小説なのか分からないような体裁で出版されています。こちらはカミュのように実存主義的な思想性と無関係にデフォーが見聞きしたことをベースにして記録しています。ですから、カミュの「ペスト」とは一味違う。


どちらが優れているとか、そんなことを言うつもりはありません。全く異なるスタンスで書かれたものだからです。猖獗を極めると言う表現にはむしろデフォーの「ペスト」のほうがぴったりかもしれません。夏の夜は短いのですが、その短い夜に読み始めてもあっという間に読んでしまう、そんな力を持った作品です。私の専門外である小説の話になってしまいました。鳥インフルエンザが世界的な爆発的流行をきたしたら、これらの小説に描かれたような世界が出現するかもしれません。 


全くの余談ですが、江戸の町を恐怖のどん底に突き落としたコレラが今弱毒化しているとの話があります。コレラ菌の立場からすると感染してあっという間にホストを死に至らしめたら、次のホストを探すのが一苦労、ホストが長生きするほうが次のホストに乗り移るチャンスが増えるので、弱毒株のほうが厳しくなった環境を切り抜ける可能性が高くなるということらしい。コレラ菌にとって厳しい環境とは上下水道のことです。
 
家に帰ったら手を洗いましょう。トイレを清潔な状態に保ちましょう。そういった心がけが感染症の蔓延を防ぐのです。数年前にSARSがアジアで流行した時、わが国にはついに侵入しませんでした。日本人が、海外の人たちから見ると病的に清潔好きだということが一役買っていたのではないでしょうか。何しろ、SARSが流行したアジアの某国で「日本人はトイレの後いちいち手を洗うんだって。信じられない」と嗤っていたそうです。


2014年7月4日金曜日

*二つ の「ペスト」-その1*


前項でペストについて簡単に取り上げましたが、ペストと聞くと蚤が媒介する伝染病で、放置すると死亡率が とても高い伝染病を思い浮かべるのが一般的でしょう。日本でも流行したことがあったのです。明治の中ごろ、神戸にペストが持ち込まれ ます。それを水際で防いだのが北里柴三郎とその同僚たちでした。

ペストの蔓延を防ぐだけでなく、ペストの保菌者となるネズミが野生のネズミの中に紛れ込むのを阻止する必要があり、当時ネズミ一匹を5銭で買い上げることでネズミ社会へのペストの拡散を食い止めたのだ そうです。

 わが国には ネズミの天敵である猫を家に飼う風習があり(しかも魔女の生まれ変わりとして猫を焼き殺したりしなかった)、ペストを媒介する蚤(ケオプスネズミノミ)が生息に適しない環境だと言うこともあって、南の国のように定期的に小流行を繰り返すと言うことにはならなかったようですが、ほかの蚤でもこの病気を媒介できるので、ペストの侵入を食い止めたのは、本当に間一髪と言ったところでしょう。偉大な先輩たちの努力に感謝!しかし今日ここで取り上げるのは感染症としてのペストではありません。 

 若い頃に小 説を読みふけった方はご存知だと思いますが、カミュと言うフランスの小説家の作品に「ペスト」と言うのがあります。アルジェリアのとある町をペストが襲う。軍隊が町を包囲して感染している可能性のある人を町に閉じ込めてしまう。その町の中は閉鎖空間となって猖獗を極める。その中でさまざまな登場人物のドラマが展開すると言うもので、フィクションとは思えない、鳥肌が立つような小説です。カミュはこの小説の前に「異邦人」と言う小説を書いており、両者の作風の違いが議論の俎上に乗ったこともありました。

 わが国では ペストよりもコレラのほうが恐れられた病気でしょう。コレラは江戸時代に何度か江戸で流行しており、明治から大正時代になっても複数回の大流行を見ています。コレラの恐ろしい症状は「仁」と言う漫画で詳細に描かれていますので、ご存知の方もいるでしょう。しかし、ヨーロッパではペストがとても恐れられています。何しろ中世ヨーロッパの大流行の際に人口の1/ が死んだとか2/3が死んだと言われているのです。

 《次週に続く》

2014年6月27日金曜日

*困った患 者さん-その2*


 感染症の治療とは、黴菌との総力戦です。ちょっとした油断で負けてしまう。

 戦国 時代には、圧倒的な武力を誇る今川義元の軍勢(40000人ほど)が2000人の織田信長の軍勢の奇襲を受けて敗れ去ったという、とても有名な例があります。人間の体も、例えば指先などで炎症が起こると、その戦いのための兵站線を指一本に作らなければならないので、戦闘に関する物資や 兵員の輸送にそれほど有利ではないのです。最初の(毒水=つまり抗生物質)で 敵を完全に撃滅しておかないと、とても厄介なことになってしまいます。

 昔、4歳ほどの子供が指先に 蜂窩織炎(これをひょう疽と言う)を患ってある病院に入院したことがありました。黄色ブドウ球菌の感染症です。その子供のケースでは 抗生剤に耐性を持ったブドウ球菌が血液の流れに乗って肺に到達し、そこで気胸を作り、数日のうちに死に至らしめてしまいました。このように、感染症はとても怖いのです。そしてわが国では抗生剤が使い放題のような、半ば野放しの状態になっており、処方された人の一部 はそれを気まぐれに飲んでいるので、耐性菌がどんどん出来てきています。やがて、あと30 もすると、我らの地球上は耐性菌に覆われてどの抗生剤も効かなくなる、そんな日が来ると考えている細菌学者は少なくありません。 

 地球がパスツール以前に戻る、つまり感染したら自分の免疫力で直す以外に手がなくなる。そういったときにペストが流行したら…。昔ヨーロッパでペストが流行したときには全人口の30%以上が死んでしまったとも言います。今、交通手段が中世とは比較にならないほど発達しているので、どこかに発生したペストは全世界的な 大流行になり、抗生剤が効かなくなったとすると、人口の3割(30年後の地上の人口が100億人いるとして30億人)が死んでしまい、それこそ阿鼻叫喚の地獄絵という表現が慎ましやかに思えるような世界が出現するのです。 

 帰宅したら、真っ先に手洗いとうがいを励行しましょう。散々もったいぶった説明をして、最後はこれかよ、そういう感想を持つ人は少なく無いと思いますが、最良の方法とはえてして単純なもの。体へのストレスを極力軽減し、そのストレスに対して体が割く必要のあるエネルギーを出来るだけ少なくすることが、感染症からの防御にも有効。ストレスとは、もちろん仕事上のメンタルなこともあるが、むしろ体の一部が不潔になって、免疫系がそれにエネルギーを割かなければならなくなると言った事態を主に指します。手洗いとうがい、これが簡単で効果的なのです。

2014年6月20日金曜日

*困った患者さん-その1*

 ある患者さんをご紹介しましょう。ここでは仮にAさんとしておきます。ある日どこかに怪我をした。家にあった薬(以前病院でもらったものの残り物)を 自分で塗って様子を見ていたが、日がたっても治る気配が無い。むしろ悪くなるようだ。そこで病院を受診した。こんな経験は多くの人がしているのではないでしょうか。その人が、受診するときにその薬の入ったチューブを 持参してくれるか、薬の名前を書き写してくれれば大いに助かりますが、先日は、塗ってはいけない薬を塗って、傷が悪化したというケースを診ました。

塗り薬といってもさまざまなものがあります。蕁麻疹の際などに塗るステロイド軟膏、抗生剤の軟膏、鎮痛剤などで、一般的に薬店で購入できるものにはメンタムなどの塗り薬もあります。そして抗生剤は菌の増殖を防ぐ、もしくは菌を殺してしまうという役目を持っていて、ステロイド剤は体の過剰な防御反応を抑える働きがありますので、細菌が増殖して炎症を起こしているところにステロイド入りの軟膏を塗ると、そこで細菌と戦って いる自分の体の免疫系を押さえ込んでしまい、細菌に味方するといったことになります。

 別の患者さんが、体のある程度深いところが細菌感染のために蜂巣織炎という状態になっていました。これは黄色ブドウ球菌が原因となって起こる感染症で、皮膚表面より深いところで起こり、全体が赤くはれ上がり、痛く、熱を持ちます。黄色ブドウ球菌はとても耐性菌を作りやすいので、抗生剤の投与には注意が必要です。気まぐれな飲みかたをすると命取りになりかねないのです。このあたりのいきさつを、黄色ブドウ球菌の立場から見てみましょうか。

 美味しい餌の豊富な場所を見つけてそこで自分たちに快適な環境を作り、せっせと子作りに励んでいたところ、あるとき毒水(つまり抗生物質)が自分たちを取り囲んだ。多くの仲間がその毒のために死んでしまった。その毒のために味方はだんだん追い詰められ、せっかく築いた陣地もどんどん切り崩されていく。もうだめかと思ったときに、急にその毒が弱く なった(つまり患者が抗生剤を飲み忘れた)。

 そのときに生き残っていた仲間たちは比較的毒に強いほうだったし、毒そのものが弱く なってきたので、それまでに破壊された橋頭堡を作り直し、再度子作りを始めた。しばらくしたらまた強い毒を含んだ水があふれかえって きたが、自分たちの子供はその毒に強くなっていたので、難局を乗り切り、陣地を壊されることも無くなった。しかし毒が強いときにはひたすらじっと我慢の子。時々 毒が弱くなるので、そのときに活動していけば良い。そのうち、子孫の中には強い毒の中で平気で活動できるのが現れ、彼らの子孫がどんどん増えていった。もうどんなに毒が高濃度になっても平気だ。

 さてそんな状態になってしまうと、もうだめです。次に抗生剤をその時点で感受性のあるものに替えたとしても、そのときに敵陣が強固に守られてしまっていたら、なかなか内部に入り込めなくなりますし、また飲み忘れて敵 に付け入る隙を与えてしまう、ということが起こります。例え指先に出来た蜂窩織炎でも腕ほどまでに腫れ上がり、指を切断した頃には手首を炎症が越えていてさらに体幹に近くまで波及する、などということになる可能性が高くなるのです。

《次週に続く》