2014年6月27日金曜日

*困った患 者さん-その2*


 感染症の治療とは、黴菌との総力戦です。ちょっとした油断で負けてしまう。

 戦国 時代には、圧倒的な武力を誇る今川義元の軍勢(40000人ほど)が2000人の織田信長の軍勢の奇襲を受けて敗れ去ったという、とても有名な例があります。人間の体も、例えば指先などで炎症が起こると、その戦いのための兵站線を指一本に作らなければならないので、戦闘に関する物資や 兵員の輸送にそれほど有利ではないのです。最初の(毒水=つまり抗生物質)で 敵を完全に撃滅しておかないと、とても厄介なことになってしまいます。

 昔、4歳ほどの子供が指先に 蜂窩織炎(これをひょう疽と言う)を患ってある病院に入院したことがありました。黄色ブドウ球菌の感染症です。その子供のケースでは 抗生剤に耐性を持ったブドウ球菌が血液の流れに乗って肺に到達し、そこで気胸を作り、数日のうちに死に至らしめてしまいました。このように、感染症はとても怖いのです。そしてわが国では抗生剤が使い放題のような、半ば野放しの状態になっており、処方された人の一部 はそれを気まぐれに飲んでいるので、耐性菌がどんどん出来てきています。やがて、あと30 もすると、我らの地球上は耐性菌に覆われてどの抗生剤も効かなくなる、そんな日が来ると考えている細菌学者は少なくありません。 

 地球がパスツール以前に戻る、つまり感染したら自分の免疫力で直す以外に手がなくなる。そういったときにペストが流行したら…。昔ヨーロッパでペストが流行したときには全人口の30%以上が死んでしまったとも言います。今、交通手段が中世とは比較にならないほど発達しているので、どこかに発生したペストは全世界的な 大流行になり、抗生剤が効かなくなったとすると、人口の3割(30年後の地上の人口が100億人いるとして30億人)が死んでしまい、それこそ阿鼻叫喚の地獄絵という表現が慎ましやかに思えるような世界が出現するのです。 

 帰宅したら、真っ先に手洗いとうがいを励行しましょう。散々もったいぶった説明をして、最後はこれかよ、そういう感想を持つ人は少なく無いと思いますが、最良の方法とはえてして単純なもの。体へのストレスを極力軽減し、そのストレスに対して体が割く必要のあるエネルギーを出来るだけ少なくすることが、感染症からの防御にも有効。ストレスとは、もちろん仕事上のメンタルなこともあるが、むしろ体の一部が不潔になって、免疫系がそれにエネルギーを割かなければならなくなると言った事態を主に指します。手洗いとうがい、これが簡単で効果的なのです。

2014年6月20日金曜日

*困った患者さん-その1*

 ある患者さんをご紹介しましょう。ここでは仮にAさんとしておきます。ある日どこかに怪我をした。家にあった薬(以前病院でもらったものの残り物)を 自分で塗って様子を見ていたが、日がたっても治る気配が無い。むしろ悪くなるようだ。そこで病院を受診した。こんな経験は多くの人がしているのではないでしょうか。その人が、受診するときにその薬の入ったチューブを 持参してくれるか、薬の名前を書き写してくれれば大いに助かりますが、先日は、塗ってはいけない薬を塗って、傷が悪化したというケースを診ました。

塗り薬といってもさまざまなものがあります。蕁麻疹の際などに塗るステロイド軟膏、抗生剤の軟膏、鎮痛剤などで、一般的に薬店で購入できるものにはメンタムなどの塗り薬もあります。そして抗生剤は菌の増殖を防ぐ、もしくは菌を殺してしまうという役目を持っていて、ステロイド剤は体の過剰な防御反応を抑える働きがありますので、細菌が増殖して炎症を起こしているところにステロイド入りの軟膏を塗ると、そこで細菌と戦って いる自分の体の免疫系を押さえ込んでしまい、細菌に味方するといったことになります。

 別の患者さんが、体のある程度深いところが細菌感染のために蜂巣織炎という状態になっていました。これは黄色ブドウ球菌が原因となって起こる感染症で、皮膚表面より深いところで起こり、全体が赤くはれ上がり、痛く、熱を持ちます。黄色ブドウ球菌はとても耐性菌を作りやすいので、抗生剤の投与には注意が必要です。気まぐれな飲みかたをすると命取りになりかねないのです。このあたりのいきさつを、黄色ブドウ球菌の立場から見てみましょうか。

 美味しい餌の豊富な場所を見つけてそこで自分たちに快適な環境を作り、せっせと子作りに励んでいたところ、あるとき毒水(つまり抗生物質)が自分たちを取り囲んだ。多くの仲間がその毒のために死んでしまった。その毒のために味方はだんだん追い詰められ、せっかく築いた陣地もどんどん切り崩されていく。もうだめかと思ったときに、急にその毒が弱く なった(つまり患者が抗生剤を飲み忘れた)。

 そのときに生き残っていた仲間たちは比較的毒に強いほうだったし、毒そのものが弱く なってきたので、それまでに破壊された橋頭堡を作り直し、再度子作りを始めた。しばらくしたらまた強い毒を含んだ水があふれかえって きたが、自分たちの子供はその毒に強くなっていたので、難局を乗り切り、陣地を壊されることも無くなった。しかし毒が強いときにはひたすらじっと我慢の子。時々 毒が弱くなるので、そのときに活動していけば良い。そのうち、子孫の中には強い毒の中で平気で活動できるのが現れ、彼らの子孫がどんどん増えていった。もうどんなに毒が高濃度になっても平気だ。

 さてそんな状態になってしまうと、もうだめです。次に抗生剤をその時点で感受性のあるものに替えたとしても、そのときに敵陣が強固に守られてしまっていたら、なかなか内部に入り込めなくなりますし、また飲み忘れて敵 に付け入る隙を与えてしまう、ということが起こります。例え指先に出来た蜂窩織炎でも腕ほどまでに腫れ上がり、指を切断した頃には手首を炎症が越えていてさらに体幹に近くまで波及する、などということになる可能性が高くなるのです。

《次週に続く》

2014年6月16日月曜日

*プロポフォールでICU入院患者が死亡*


 女子医大であごのリンパ管腫の手術を受けた2歳の子供がICUで死亡しました。様々な報道がなされていますが、まず事実を確認しておきたいと思います。218にあごのリンパ管腫の手術を受けたそうです。麻酔の導入、維持、そしてICU管理中にプロポフォールを用いたのは間違いないようです。プロポフォールは静脈麻酔薬の一つで、手術中の麻酔状態を維持するために、持続的に血管内に注入し続ける、と言う使い方があります。麻酔状態に持って行くために、最初に眠らせるだけ、と言った使い方も勿論あります。

 近年このプロポフォールが広く用いられるようになった理由としてはいくつか考えられます。まず、これを静脈内に投与するとすぐに入眠すること、そして持続的な注入を打ち切ればかなり早く覚醒すること、これが一番大きな理由でしょう。麻酔科医にはイラチが多く、薬を投与してもなかなか寝ないような種類の導入剤は通常嫌います。そのほかにも理由があります。咽頭反射が抑えられるので、筋弛緩剤を投与しないでも挿管が可能だとか、揮発性の麻酔ガスを用いる必要がないので、高価な気化器が必要ないというのも主要な理由の一つです。


 もしかすると、プロポフォールを提供している製薬メーカーからの強力な働きかけがあるのかもしれません。私は麻酔科医としての現役を数年前に離れ、もともとこの手の薬があまり好きでなかったこともあり、製薬会社とも距離をとっていましたので、どの程度の強力な働きかけがあったのか知りません。しかし、日本では新しい薬が出るとすぐに皆がそちらになびくのには、メーカーからの働き掛けは大きいのではないかと思っています。


 私がカナダにいた時に、製薬会社の関係者が薬の宣伝のために病院内にやってきたのを見たことがありません。翻って本邦では午前中の外来が済むころには病院内に製薬会社の関係者がずらりと並んでいる様子をたいていの病院で見ることが出来ます。そしてカナダでは日本より2世代前の麻酔薬が用いられていました。吸入麻酔薬として最初にポピュラーになったのはハロセンと言う薬で、その次がエンフルレン、そしてイソフルレン、セボフルレンとなりますが、日本でイソフルレンが用いられ始めたころ、カナダでは依然としてハロセンが用いられていました。


 ハロセンはほかの吸入麻酔薬よりも匂いが穏やかなので、小児に「いい匂いがするだろう?」などと言うと、それまでに小児とある程度仲良くなっておけば、簡単に『うん』と返事してくれます。しかしそれ以外の麻酔薬の場合、マスクにバニラエッセンスを一滴垂らしておくなどの工夫が必要でした。一方、ハロセンには重篤な肝臓疾患を引き起こすリスクがあり、本邦ではそのことがエンフルレンへの切り替えを後押ししたのです。しかし、私はハロセンを使っていて、劇症肝炎を引き起こした例を知りませんし、私の周囲にもそういった例は見当たりませんでした。


 今回のプロポフォールは子供の麻酔に使わないように、そして人工呼吸管理を受けている患者に使わないようにと言うことが添付文書に書いてあります。麻酔に関しては、症例が少なく、安全性が確立していないことがその理由に挙げられていました。そして人工呼吸中の鎮静に関しては、「因果関係は不明だが、欧米で死亡例が報告されている」と言う事が記載されていました。プロポフォールは先ほども述べましたが、代謝が早く、分布半減期は2-8分、消失半減期が4時間以内と言われています。そして、プロポフォールの小児に対する制限は「長期大量投与」がダメとされています。


 さて、以上のような情報を頭に入れたうえで今回の死亡事故の報道を見ると、どの見出しを見ても女子医大に悪意を持って書いているように思えます。投与して3年後に死亡した例を、プロポフォール投与による死亡としている点など、暴力団の因縁と何ら変わるところはありません。誕生から離乳食の開始まで人工乳で育った子供はそのあと120年間にまず間違いなしに死亡してしまいます。それを「人工乳で育てると死亡率100%」と煽り立てているようなものです。もちろん母乳で育てても同じことが観察されますので、「母乳で育てると死亡率100%」と言えますね。


 医療に関するニュースは一般に嘘が多い。一つには煽り立てればたくさん売れる(視聴率が稼げる)と言うのがあり、もう一つにはマスコミ関係者が不勉強で何も知らない、と言う点も挙げられるでしょう。新聞やTV報道された記事に接して、それをすべて真実だなどと考えると、とんでもないことになります。先の例で挙げた、ハロセンとエンフルレンの問題などもそうで、本邦ではすぐ騒ぎ立てるマスコミを念頭に置いて、昔の薬に何らかの問題があればすぐ切り替える。まだ明らかになっていない副作用については、裁判で「その時点では明らかになっていなかった」と言い逃れることが出来るからです。


 一方カナダでは確率が一定の割合以下の副作用で死亡したような場合には、それが医師個人を相手取った民事裁判になることが無かったので、ハロセンをエンフルレンに切り替えるときのトータルコストを算出して、実際に切り替えた時にハロセンによる劇症肝炎で何人が亡くなるか、エンフルレンでは何らかの副作用でどの程度の死亡率か、そういった医療経済学的な観点から薬の切り替えを考えて行くようです。


 結局一人一人の元に帰ってくることなので、私たちがどんな医療を望むのか、特に限られた予算の中でどのように持って行きたいのか、そういったことを真剣に考えないと近い将来のっぴきならない事態に追い込まれていくような気がします。

2014年6月10日火曜日

ブログはじめました。


今回から始めることにしたこのブログで医療過疎地・公立浜坂病院でのスタッフの暮らし向き、医療の問題点などを取り上げていくつもりです。こんなことを考えながら仕事をしているのだといったことを理解していただき、少しでも病院に対して親しみを持つ方が増えてほしいとの思いからです。
しかし、理想を言えば、病院は暇なほうがいいのです。それだけ地域の皆さんが健康だということですから。多くの人がより健康に暮らし、その中で時々「今よりもっと健康になるにはどうしたらいいか?」そういったアドバイスを求めに病院に来る、それがスタッフ一同の願いです。
いえ、決してその方が暇だから、というのではありませんよ。

というわけで、最初の記事は病院職員で作る『登山同好会』の活動状況です。67日土曜日に鳥取県の三徳山投入堂に参拝に行ってきました。67日です。ちょうど入梅した直後で天候がとても危ぶまれました。雨で登山道の足がかりがぬれていたら?登るのが危険な状況であれば入山中止だそうです。そういった意味では比較的安全かもしれませんが、早起きして現地に行って入山禁止なんてことになると、それも悔しいですね。 

参加者は合計14名。2台のワンボックスカーに分乗して三徳山のふもとまで向かいました。登り始めが8時半ごろ、予定通りです。入山チェックの前に腰痛にご利益があるというお寺があり、坐骨神経痛を持つ私は先ずそこでご利益を一杯頂いて、先行きの不安を払拭(1)。
(1)


入山チェックではハンドバッグなどを持っていて、片手がふさがる可能性があるとだめ、靴もハイヒールとかはもちろんだめ、靴底が磨耗しているとこれもだめ。その場合、参拝道の入り口でわらじを購入して、わらじに履き替えなくてはなりません。


此処で一人入山規制。険しそうだということで、麓で待つことに。13人で険しい参拝道を登り始めました。毎年何人かの負傷者が出るし、時々死者も出るという、この厳しい参拝道を文字通り両手両足を使ってよじ登っていきます。最初の難所、かずら坂は木の根が地面の上に網の目上に露出して、傾斜は60度ほど、その根っこにつかまりながらよじ登っていく(2)と、今度は急な傾斜の岩場が現れ、そこを登り切って一息つくと文殊堂直下の鎖場、文殊堂の回廊(3)高所恐怖症の人には苦手だと思います。

(2)かずら坂

(3)文殊堂の回廊

私は靴を脱ぐのが面倒だったので、行きませんでした。馬の背(4)、牛の背を過ぎるとやがて元結掛堂が現れます。この建物の奥のほうを、岩の下をくぐるようにして過ぎると人は生まれ変わるそうです(5)。私もここで生まれ変わって、坐骨神経痛をこのお堂に置いてくる事ができたかも!生まれ変わるとそこには投入堂、本日の最終目的地です。こんな処にどうやって建造物を作ったのか、全くもって謎です(6)。

(4)馬の背

(5)元結掛堂

(6)投入堂 

降りは登りよりも一般的に怖い。怖いと思って腰が後ろに引けるととても足が滑りやすくなりますが、かといって怖いのに腰を引かないような姿勢を保って歩けと言われても無理なものは無理(7)、昔海外の山の岩壁を初登攀した私も、変なことをすると沽券にかかわるなどと思ってはいても、足の筋力がすっかり弱っており、笑う膝を叱りつけながらやっとのことで出発点にたどり着きました。此処では他の参拝者にお願いして写真を写してもらいました。従って14人全員が此処には写っています(8)。
(7)

(8) 

その後、近くの旅館で温泉に入り、お昼を頂きました。それから干菓子とお団子のおいしい店(石谷精華堂)、ふろしき饅頭のおいしい店(山本おたふく堂:ここで貴重な情報を得ました。なんと、ふろしき饅頭8個でショートケーキ1個と等しいカロリーだそうです(9)。安心してふろしき饅頭を食べられる!)
(9)

を経由して、道の駅でアイスクリームを食べ、野菜などを購入して夜の反省会に突入。反省会では、元結掛堂で生まれ変わった体に念を入れてさらにアルコール消毒という訳で、飲み放題のアルコール含有飲料をたらふく浴びながら一日の行動を深く反省したしだいです。