2014年8月21日木曜日

ダーウィンと現代の農業


 ダーウィンと言う人が『種の起源』を世に問うてから150年以上経っています。150年前と言えばわが国では井伊直弼氏が暗殺された頃ですね。強固な身分制の中で足掻いていたわが国の学問と、新興ブルジョワジーによって自由に議論されるようになった彼の国の学問の違いを見てしまいます。『種の起源』からは、自由競争、適者生存、弱肉強食などの言葉を思い浮かべることが多いと思います。

 読んでみれば分かるのですが、『種の起源』は決して動物が血で血を洗う闘争の歴史を描いているわけではありません。むしろ後にわが国の今西錦司氏などによってポピュラーになった『棲み分け』のほうがその実情を正確に反映しているようにも思えます。今西らが用いる『棲み分け』は生態学で使われていた『棲み分け』とは少し意味が異なりますが、その辺は枝葉末節になるのでカット。

 その適者生存ー棲み分けを分かりやすい例を挙げて説明してみましょう。今西らが取り上げた例で彼らの学説を説明するのに好んで取り上げられるのは陽炎に関するもので、次のような観察事実が出発点になっています。
「カゲロウ類の幼虫は渓流に棲むが、種によって棲む環境が異なると同時に、異なる形態をしている。具体的には
●流れが遅く砂が溜まった処に生息する種は砂に潜れるような尖った頭をしている。
●流れのあるところに生息する種は、泳ぐことに適した流線型の体をしている。
●流れの速いところに生息する種は、水流に耐えられるように平たい体をしている。
このようにそれぞれが棲み分けた環境に適応し、新たな亜種が形成される」

 もっと分かりやすい例を挙げてみましょう。わが浜坂病院の東側、小児科外来の外に美しい芝生が広がっています。いかにも気持ちよさそうで、手入れが行き届いていると思いますが、どうしてこの芝生に雑草が生えてこないのか。たいていの雑草は芝よりも自然状態では強い。だから雑草のほうが生存競争に勝ち残るはずです。ところが、定められた区画に芝を植えた場合、その区画には定期的な『芝刈り』と言う生存への圧力が加わります。この苅込には芝のほうがほかの雑草よりも強い。だからほかの雑草たちはそうした生育環境で芝に負けてしまうのです。

 さまざまな養殖や特定の作物を育てる場合、その目的の作物や魚介類以外にとって不利になるような環境を作ってやる。そういったやり方はいろんなところで実行されており、農薬を高濃度にまくよりもずっと健康的な食料を得ることが出来ます。有機リン系の農薬で病害虫を駆除したお米と、合鴨農法で病害虫を駆除したお米と、皆さんはどちらを食べたいでしょうか。この合鴨農法も広い意味で雑草や病害虫に対する環境の圧力と捉えれば、その理論的な基礎はダーウィンによってもたらされた物です。

 まだ、秋の夜長と言うには気が早いようにも思いますが、時には『種の起源』など、古典中の古典を紐解いてみるのも良いのでは無いでしょうか。ただし、古典といってもニュートンの『プリンキピア』はお奨めできません。微積分学の専門的知識が必要となるからです。


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