2014年12月12日金曜日

海外の学会・予想できない質問

 7年ほど前のことですが、プラハでの国際学会の折、演題を提出して採択されたので、行っ
てきました。その学会は輸血の代替療法に関するもので、私が当時輸血量を何とか減らす工夫
をして、その記事をホームページにUPしていました。その学会から、私のホームページの趣旨
と学会の趣旨がかなり近いので、ぜひ一度来いと言うお誘いがあった、それがきっかけです。
プラハでは、『エホバの証人』と言う、病院関係者の間では少し有名な宗教法人に対する私た
ちの立ち位置について報告を行うことになっていました。
 
 私のスライド原稿に、日本に『エホバの証人』の信者が少数派であること、仏教徒が多数派
であること、しばらく前まで本邦の医療現場はパターナリズムが主流で、つまり『黙って俺を
信じて付いて来い』的な態度で患者さんに接していたこと、したがって医療行為について患者
さんが同意した上で云々と言う新たな流れは医療従事者、特に医師にとってとても居心地の悪
いものだったということなど明記しました。そういった日本での現状を説明し、輸血の機会を
減らすためにどうしたかという話に持っていくと言う腹積もりでした。
 
 ところが、会場から『仏教の基本的な考え方、哲学はどういったものか』と言う質問が出て、
仏教についての解説みたいなものを要求されました。ヨーロッパの人にとってそちらのほうが
関心事だなどと想像してさえいなかったので、さて困った、私はお経など読んだことがありま
せん。昔子供のころ、祖父の膝に座って彼から聞いた話は、後で思い起こすと多分神道にまつ
わるもので、仏教と関連があるとは思えません。しかし、そこで『I have no idea.』などと
いって逃げるわけには行きません。欧米では宗教に関して、我々日本人からは想像できないほ
どシビアな態度をとるのです。
 
 はっきり無神論と主張するにはそれなりの自分の哲学を開陳する必要がありますし、勿論私
にはそんなバックグラウンドはありません。あまり無茶苦茶な返事をすると、次回からの学会
に演題を採択してもらえないなんてこともあり得ます(それまで3回採択されていました)の
で、ここは慎重に対処する必要がある、そう考えました。複数の人が会場でマイクを持って交
互に、仏教とは何か、その本質はどうで、悟りとはどういったものか、などと妙なことをまく
し立てています。しかしそのおかげでやや時間を稼げました。
 
 その時に昔読んだ本を思い出しましたので、それに沿って考えていくことにしたのです。
『あなたたちは、例えば人とは何かとの問いかけにいろんな答えを持っているだろう。直立歩
行、言語、知能、などなど。しかしそうした答えを持ち出す際に、すでに頭の中にヒトについ
ての言語以前の観念を持っているから、その様な答えを出すことが出来るのだ。その言語以前
の観念を直接把握しようとするのが、東洋哲学の基本的なスタンスで、その把握を悟りと言う
』。
 
 すごいハッタリで、今考えても冷や汗ものなのですが、現地では『東洋の神秘』みたいな受
け取られ方をしました。発表の後、一つのテーブルを囲んで仏教や東洋哲学などについて議論
を重ねました。そして翌年、また学会で会おうと誓い合って分かれたのでした。残念ながら、
その翌年の学会に私は都合で出席できませんでした。提出した演題の演者を後輩に振って代わ
りに行ってもらったのですが、そのときの顛末については詳細を聞いていません。
 
 いろんな雑学をあちこちで仕入れておくと、妙なところで役に立つものです。まさか昔読ん
だ広松渉の著作がこんなところで役立つとは思いもよりませんでした。

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