2015年6月26日金曜日

身長の日内変動と脊椎の牽引

 身長の日内変動について検索をかけるとたくさんの結果が示されます。そしてどの記事を見てもほぼ共通に、寝起きのときの身長は就寝前の身長より高いとされています。つまり寝ているときに身長が伸び、起きているときに縮むということになります。そしてその原因は重力。重力が脊椎に加わって、椎間板の一つ一つが平べったく変形することだと言われています。もしかすると質関節や股関節の軟骨も少し変形するのかもしれませんが、ある程度広い範囲を動く関節周りの軟骨の変形は考え難いので、脊椎部分の軟骨の変形が一番の原因だろうと思います。

 軟骨はそれなりの可塑性がありますので、加重が取れた状態が6時間も続けば平べったくなったものが再び丸みを帯びた形に戻ることは充分ありえます。しかし本当にそうだろうか、疑り深い人はそんな風に感じるだろうと思いますし、そのような疑いを持つのはとても健全なことです。ではその疑いを解決する手段はないか。たとえば朝と夜に椎間板に焦点を当ててCT撮影などの画像で比較すると言う方法があります。CT撮影そのものは、現在のわが国の保健医療では数千円で収まりますので、費用の面からはこの仮説の検証にそれほどのコストはかかりません。

 しかし、CT撮影の際の被爆はどうしても避けがたいものです。ただでさえわが国は被爆大国、それも医療被曝大国です。欧米などの先進諸国で、わが国のように気軽にCT撮影を行う国はありません。CTにかかる費用がかさむと言う事情もありますが、被爆の問題が大きいのです。カナダで留学生活を送っていた頃、私の娘が旅行中に突然熱を出し、嘔吐しました。近くの診療所に担ぎ込んだのですが、そこの医師が、聴診などの観察に加えて血液検査を実行し、放射線学的な検査を行うことができるけど被曝する、将来この検査による悪性腫瘍の発生率が1%ほど上昇するがどうする、と言うようなことを親である私に尋ねました。

 この1%はあまり神経質になる必要の無い被爆量ですが、CT撮影の場合、それなりに神経質になったほうが良い被爆量です。ですから、単純に興味に駆られて測定する種類の検査ではありません。では他に何か良い方法は無いか。日中の立位での活動で重力の影響を受けて椎間板が扁平になっているのであれば、椎体の牽引で身長が多少伸びると言う現象が確認できかも知れません。そこで私自身を被験者として選び、40kgの牽引を15(15分間引っ張り続けるのではありません)行ってその前後での身長の変化を記録しました。

 若い頃と比べると2.5cmほど縮んで172.5cmだった私の身長が牽引によって173cmになっていました。つまり15分ほど重力の影響を除去して逆に椎体を引っ張ってやることによって体を引き伸ばすことが出来ました。これを例えば10年ほど若い頃から続けていたら、もしかすると2.5cmの身長の縮みは見られなかったかも知れません。でも、まことに残念なことですが足を引っ張っても足が長くなることは無いと思います。ここで述べた身長の変化が椎間板軟骨の弾力性によるものなので、可動範囲の大きな股関節や膝関節の部分で軟骨が膨らんだり縮んだりすることは考え難いのです。

2015年6月16日火曜日

瀉血:大昔の西洋医学

 瀉血と言う「治療法」が昔行われていました。熱に浮かされている人の静脈を切り開いて、体内をめぐる血液の一部を抜き取ると言うものです。なぜそれが有効な治療と考えられたのか、今日の知見からすると理解に苦しみますが、ヒポクラテスの時代には人間の生命は体液によって支配されていると考えられており、複数の体液が体の中でせめぎ会っていると考えられていました。当時、もちろん医業というのがあり、病を得た人に対して医師は何らかの説明責任を課せられたでしょうから、何か屁理屈を考えつかなければならないと言う事情があったでしょう。

 確かに悪性腫瘍の終末期には、胆汁様の吐物が観察されますので、それと体液説を結びつけて、悪い血を出してしまうと言う発想がでてきてもおかしくはありません。ついでに言うと、この「悪液質」と言う言葉は今日まで医学用語として生き残っています。その瀉血ですが、1618世紀の欧米ではかなり一般的で、多くの人が血を抜かれて、その大半が死亡し、一部は生き残ったようです。合衆国初代大統領のワシントンも瀉血を受けて死亡しました。

 歴史上のお話としては、チフスの流行の際に瀉血を施したことがきっかけで、当時の医療従事者が瀉血から離れていったとされています。チフスは感染初期から衰弱が顕著に認められる感染症で、瀉血によってかなり直接的に死亡するので、瀉血が原因で死亡すると言う因果関係の把握が容易だったようです。血液中のヘモグロビンが酸素を体の隅々にまで運ぶなどと言うことは想像されることすら無く(当時は酸素と言う物質についても知識が無かった)、性格などを支配する要素だと考えられていましたし、悪い病がその血液に居ついてしまうので、瀉血によって是正するのだと考えたのでしょう。

 それとほぼ同じような感覚で、輸血がなされていたのはご存知でしょうか。ルイ14世の主治医だったドニという人が、パリの乱暴者に子羊の血液を輸血することで、子羊のような温和な性格に作り変えると言うことを試みています。まず最初の輸血の後、その被験者は居酒屋に繰り出して大酒を飲んだと言うことです。しばらくしてもう一度輸血を受けて、そのときには死にかけたのですが、復活して、その後おとなしくなったそうです。当時の輸血、瀉血ともに、科学からは程遠い方法論で、人の健康に迫ろうとしていた時代の話です。

 現在、瀉血という方法が採択されることはありません。しかし、ある種の病態では交換輸血を行います。もちろん患者さんをめぐっている血液を全部抜き取ってから新たに同量を輸血することは出来ませんので、何度も輸血と脱血を繰り返して、ほぼ血液を入れ替えるということになりますが、もちろん血液に宿る中世的な何かを捨て去るためではありません。異なる動物の血液を輸血すると言うことも通常ありえないことですが、これについては面白いことを聞いたことがあります。

 第二次大戦の頃、わが日本軍が中国やビルマなどに進出し、戦闘に従事していたのですが、そのときの負傷兵に対して輸血が必要だが、血液製剤が無い。そんな状況に直面した軍医さんたちが苦肉の策として、致死的な抗原性の無い牛の血漿を輸血したと言う話を聞いたことがあります。その人たちの一部は、その話を聞いた時点では生存しており、その人たちが固い絆で結ばれていると言うことでした。その絆と言うのは、牛の血漿を輸血されたために、体内に妙な抗体がいろいろと出来ていて、ABOの方を合わせても輸血できないらしかったのです。

 だから、誰かが手術をするとなると、同じ治療を昔受けた「同志」が病院にやって来て供血者になると言うシステムが出来上がっていたと言うのです。直接当事者から話を聞いたのではありませんので真偽のほどはわかりかねますが、そのための強固なネットワークが形成されているという話です。この話はバンクーバーの医師から聞いたものです。一般に血液に絡んだ話にはいろんなものがあり、その多くは当然の事ながら、血腥いものです。薬害エイズなどもその一つだと思います。

2015年6月5日金曜日

過ぎたるは及ばざるが如し – 紅茶の飲みすぎ


 ひとは単独で生きていくことが出来ません。小野田少尉や横井兵卒のようにジャングルの中で長いこと一人で生活していた人もいるのですが、人間としての基礎ができた上で孤立したわけで、人間形成の過程には社会がちゃんとした役割を果たしていました。単独で生きていく、いろんなサバイバル技術を学んだ上で単独で生き抜くことは、もちろん、環境によっては可能です。しかし、生まれたての赤ん坊が人間として育っていくうえで、社会的なトレーニングは必須のものです。

狼に育てられて15歳頃に発見された子供がいたそうですが、ついに『人間』になることが出来ず、まるで凶暴で飼い主にもなつかない野犬のようにしばらく生きていて、短い生涯を終えたそうです。人間としての考え方やものの見方など、それにお箸やナイフ・フォークで食事を取るといった習慣などが『人間』を作っているといっていいでしょう。その『人間』ですが、千差万別。なくて七癖などといいますが、同じ境遇に置かれても、自分の人生に対する向き合い方には大きな個性の違いがあります。

私たち医療従事者から見ると、病を得た後にどう対処するか、といった観点で見た場合に、各々の人柄が見て取れます。例えば癌と診断されたときにどうするかというのがあります。私が研修医だった頃は本人に『あなたは癌です』と告げることはありませんでした。ショックが大きすぎて、自分でその事実を受け止めきれないだろうというのが当時のわが国全体の空気で、その傾向は私がカナダに留学した1980年代後半には強く残っていました。

カナダの西海岸で、肺燕麦細胞癌(とても進行が早い)に罹患した患者さんに『あなたは手術適応のない肺がんにかかっており、あと3ヶ月ほどで死ぬから遺言など考えておきなさい』と告げているのを見てびっくりしたものです。欧米の医師に言わせると、本人の人生なのだから、知るべき情報は全部伝えておかないと、それは一種の瞞着的な行為だというわけです。帰国して数年後に、地域の中核病院で働き始めたときに、そこの外科部長が全てを本人に告げるという考え方を持った人で、実際に病名告知をしていました。

病院からの帰りに自殺してしまったひとがいるという噂も聞こえてきましたが、今は病名告知、予後の告知が一般的になってきています。癌以外の病気、糖尿病だとか脂質代謝異常だとか、骨粗鬆症、変形性の関節症、そして高血圧などは昔から告知していました。肝硬変や腎不全についても告知していました。糖尿病や高血圧は実際に不都合なことが起こるのはたいてい病の最終ステージに近づいた頃ですが、変形性の関節症や骨粗鬆症による異常骨折などは不都合が起こったらすぐさまそれと分かります。痛いのです。

その痛みにどう向き合うか。前置きが長くなりましたが、今回のテーマはこれです。膝や股関節には強い力がかかります。脊椎にも強い力がかかります。ですから、そのあたりの病気はその荷重がより大きくなるような条件(=肥満)があると、症状の進行が早い。そして痛みを口実に動くことをやめると筋肉が萎縮して消費カロリーが減ることで、より太りやすくなります。そうすると家屋の中でどうしても移動しなくてはならないような場面に出会うたびに情け容赦なく骨の変形などが進行します。

変形性質関節症では関節を動かしておくほうがいいのです。ある患者さんは自分の趣味を貫くために、ほとんど関節として機能しなくなった膝に痛み止めを打ちながら歩き回っています。長い下り坂を下りるのが辛いとこぼしていますが、それでも元気に活動しています。一方、関節変形の程度からすればそれよりはるかに軽症で状態のいい人が、ほとんどこもりっきりになり、生活上の様々なことを他者に依存するということが見られます。どんどん生活が縮小していき、人生の最終楽章が全く盛り上がりに欠けるものになっているようにみえてしまいます。

私の仕事の中心は痛みをある程度軽くし、病状の進行にブレーキをかけることです。胸椎下部の圧迫骨折などで急性期の痛みを乗り切るためには23週間入院していただいて、その間に痛みを軽減させるような処置をします。そして第2、第3の圧迫骨折がそれに続いて起きないように骨粗鬆症の治療を開始する、そして腰椎のすべり症の発生を食い止めるなどの手立てを講じる、そうしたことがこの病院に勤務する外科系医師である私の仕事であろうと思っています。

人生の広がりは『自分のことをちゃんと自分で始末する』ということと深く関連しています。そして生きていくうえでの喜びは、誰かに何かをして上げられることだと思うのです。どこかが痛いといって引きこもって、人に何かをしてもらうことを期待しながら、愚痴をこぼし、『死にたい』などと言っていると、友人たちの足も遠のくでしょう。すると自分の人生がさびしいものになってしまうのです。出来るだけ、そうならないようにがんばってください。お手伝いできるところはします。