2015年6月16日火曜日

瀉血:大昔の西洋医学

 瀉血と言う「治療法」が昔行われていました。熱に浮かされている人の静脈を切り開いて、体内をめぐる血液の一部を抜き取ると言うものです。なぜそれが有効な治療と考えられたのか、今日の知見からすると理解に苦しみますが、ヒポクラテスの時代には人間の生命は体液によって支配されていると考えられており、複数の体液が体の中でせめぎ会っていると考えられていました。当時、もちろん医業というのがあり、病を得た人に対して医師は何らかの説明責任を課せられたでしょうから、何か屁理屈を考えつかなければならないと言う事情があったでしょう。

 確かに悪性腫瘍の終末期には、胆汁様の吐物が観察されますので、それと体液説を結びつけて、悪い血を出してしまうと言う発想がでてきてもおかしくはありません。ついでに言うと、この「悪液質」と言う言葉は今日まで医学用語として生き残っています。その瀉血ですが、1618世紀の欧米ではかなり一般的で、多くの人が血を抜かれて、その大半が死亡し、一部は生き残ったようです。合衆国初代大統領のワシントンも瀉血を受けて死亡しました。

 歴史上のお話としては、チフスの流行の際に瀉血を施したことがきっかけで、当時の医療従事者が瀉血から離れていったとされています。チフスは感染初期から衰弱が顕著に認められる感染症で、瀉血によってかなり直接的に死亡するので、瀉血が原因で死亡すると言う因果関係の把握が容易だったようです。血液中のヘモグロビンが酸素を体の隅々にまで運ぶなどと言うことは想像されることすら無く(当時は酸素と言う物質についても知識が無かった)、性格などを支配する要素だと考えられていましたし、悪い病がその血液に居ついてしまうので、瀉血によって是正するのだと考えたのでしょう。

 それとほぼ同じような感覚で、輸血がなされていたのはご存知でしょうか。ルイ14世の主治医だったドニという人が、パリの乱暴者に子羊の血液を輸血することで、子羊のような温和な性格に作り変えると言うことを試みています。まず最初の輸血の後、その被験者は居酒屋に繰り出して大酒を飲んだと言うことです。しばらくしてもう一度輸血を受けて、そのときには死にかけたのですが、復活して、その後おとなしくなったそうです。当時の輸血、瀉血ともに、科学からは程遠い方法論で、人の健康に迫ろうとしていた時代の話です。

 現在、瀉血という方法が採択されることはありません。しかし、ある種の病態では交換輸血を行います。もちろん患者さんをめぐっている血液を全部抜き取ってから新たに同量を輸血することは出来ませんので、何度も輸血と脱血を繰り返して、ほぼ血液を入れ替えるということになりますが、もちろん血液に宿る中世的な何かを捨て去るためではありません。異なる動物の血液を輸血すると言うことも通常ありえないことですが、これについては面白いことを聞いたことがあります。

 第二次大戦の頃、わが日本軍が中国やビルマなどに進出し、戦闘に従事していたのですが、そのときの負傷兵に対して輸血が必要だが、血液製剤が無い。そんな状況に直面した軍医さんたちが苦肉の策として、致死的な抗原性の無い牛の血漿を輸血したと言う話を聞いたことがあります。その人たちの一部は、その話を聞いた時点では生存しており、その人たちが固い絆で結ばれていると言うことでした。その絆と言うのは、牛の血漿を輸血されたために、体内に妙な抗体がいろいろと出来ていて、ABOの方を合わせても輸血できないらしかったのです。

 だから、誰かが手術をするとなると、同じ治療を昔受けた「同志」が病院にやって来て供血者になると言うシステムが出来上がっていたと言うのです。直接当事者から話を聞いたのではありませんので真偽のほどはわかりかねますが、そのための強固なネットワークが形成されているという話です。この話はバンクーバーの医師から聞いたものです。一般に血液に絡んだ話にはいろんなものがあり、その多くは当然の事ながら、血腥いものです。薬害エイズなどもその一つだと思います。

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