2016年3月29日火曜日

今日のレシピ ー コック・オ・ヴァン



 今回は初回の料理と同じく鶏肉を使った料理です。今回はモモ肉を使います。フランス地方の家庭料理です。
    材料:皮付きの鶏モモ肉、人参、玉ねぎ、白ワイン、チキンブイヨン、ベーコン、
    鶏モモ肉を皮を下にして炒め、とりを引き上げてベーコンを炒める
    ベーコンをどかしてカットした玉ねぎと人参を炒める。
    一つの鍋にベーコン、モモ肉、野菜を入れ、白ワインをヒタヒタになるまで注いで、チキンブイヨンで30分間焦げ付かないように注意して煮込む。
    鶏肉とベーコンを取り出し、残りをミキサーで砕いて(ほんとは裏ごしだが、面倒なのでミキサーで)野菜ソースとして用いる。
    肉をカットして、野菜ソースを掛けて供する。このときに絹さやとかペコリスなどを付け合せにすると若干おしゃれ。なお、このソースは多分余ると思う。サーモンや鱈を焼いてこのソースで食べると趣が異なり、美味しい。

この料理は、ある程度寒い季節に作ったほうが美味しく頂けるようです。昔この料理を友人に教わった頃、私はまだ鶏のモモ肉と胸肉の違いが分かっておらず、安い胸肉で作ったらその友人が作ったものほど美味しくなかったのです。そのことを言ったら散々馬鹿にされました。その友人は、ポリクリ(医学生に課せられた臨床実習)をサボって料理教室に通うといった、料理に関する筋金入りで、心優しい友人たちが彼の出席を代返したりして何とか乗り切ってきたものでした。

整形外科のポリクリで大腿骨の手術現場を見ながら、彼と肉の焼き加減について話していたら、その場をつまみ出されそうになったこともありました。当時の先生たちはおっかない人が多かったのです。この料理は、せっかくですから煮込むときに月桂樹の葉を二枚ほど入れておきましょう。さして味に変りはない?いえいえ、変ってきます。もし余分な鍋があったら、材料の半分を月桂樹入りで煮込み、残り半分を月桂樹無しで煮込んでみてください。違いが分かると思います。

 鶏肉はモモが美味しいようですが、鴨の場合は胸肉が美味しいように思います。これは鶏が飛ばないのでムネ肉よりもモモ肉のほうが筋肉が発達していることと関係しているのかもしれません。長距離を飛来して移動する鳥のムネ肉を食べるとスタミナがつくといった話も聞かれます。しかし、アホウドリ(とても長距離を飛行するようです)などを捕まえて食べると、多分叱られると思います。

 この料理で出来るソースは、ちょっと多めになるように材料の量を加減し、それほど強い主張をしない素材(魚な鱈、野菜ならカリフラワーなど)をソテーして、このソースに絡めて食べると美味しいので、是非一度試してみてください。ソースは玉ねぎと人参、それにチキンブイヨンと鶏モモ肉・ベーコンの出汁からなっており、健康に有害なものは入っておりません。出汁が良く効いているので、塩分は少なくても充分美味しい。料理に用いる塩分を減らすには濃い目の出汁をとることが一つのポイントだということが分かります。

 余計なことかもしれませんが、この料理には白ワインが良く合います。お手ごろ価格の白ワインで納得の味といえば、チリのワインでしょうか。私はTAMAYAのシャルドネを常備していますが、保存状態のいい酒屋で買わないと無残なものになってしまいます。店の外にワインのケースを山積みしているような酒屋を散見しますが、直射日光に晒すなど、論外です。安いお酒をその時々で販売しているところよりも、店主が自分で飲んで味を確認したうえで、長期にわたって仕入れている。そんなお店のほうが信頼性が高いように思います。では良い晩酌を。


2016年3月15日火曜日

心臓手術の歴史


 昔々、外科がやっと近代科学の衣を纏い始めたころ、心臓を覆っている膜(心嚢)は人間が越えてはならない一線とされていました。そこを超えると必ず患者が死に至る、そのような『結界』として認識されていたのです。1896年の初秋にドイツのある都市の公園で胸を鋭いナイフで突かれて昏倒している人が病院に担ぎ込まれて救命されるまでは。フランクフルト市立病院に担ぎ込まれたその患者は、今まで誰も成功したことのない心筋縫合を施行されてこの世に戻ってきました。

「心臓の傷を縫合しょうなどという外科医は、間違いなくあらゆる同業者に、永遠に蔑視されるだろう。」当時は医学界を代表する人がそんなことを書き記す時代だったのです。しかし何もしなければ確実に死ぬ、そんな状況の中で当時外科の部長レンが出張から帰った後にその患者の手術をする決心をしました。右心室につけられた刃物傷を彼は3針の縫合で完全にふさぎ、その患者は歩いて帰ることが出来ました。その年の秋、心臓外科関連の国際学会でレンがその事例を発表すると、そのニュースは野火のように世界中に広がったのです。

レンが行った手術は心臓の筋肉に加えられた小さな傷、筋肉の不連続面を修復するというものです。そこから、心臓の奇形や弁の変形・異常に手を加えるというところまでは若干の距離があります。実際に心臓の内部構造の異常に手を出せるようになるにはさらに半世紀を要しました。確か第二次大戦中だったと思います。合衆国で心房中隔が欠損した自分の子供とその母親の動静脈を吻合して、母体の心臓に負担をかけながら子供の心臓を止めて、心内手術で欠損孔をふさぐという手術が成功しました。開心術としては世界最初でした。

しかし子供がある程度成長した後だと、自分と子供の両方の血液循環を母親の心臓に委ねるのは不可能ですし、血液型など免疫系のマッチングの問題もありますので、誰にでも出来るものではありません。人工的な循環装置と人工肺の実用化が望まれていました。ポンプは可塑性に飛んだチューブをローラーで圧迫しながら血液を送る方法が考えられたようです。酸素化装置は横に置いた円筒形容器の中に血液を半分ほど満たし、内部に設置した円盤をぐるぐる回しながら、容器の上半分に満たした酸素に円盤に付着した血液が触れて酸素化するという装置(ディスク型人工肺)が完成し、実用段階に入りました。

私よりちょっと年の行った医師で心臓外科を志した人なら手術後のその円盤を金属たわしでゴシゴシ洗浄した記憶を持っているかもしれません。そのうち、ディスク型人工肺は気泡型に取って代わられ、膜型に置き換えられました。私が動物実験で用いた酸素化装置はガラス製で先のディスク型の応用のようなものでした。実験の後長らく生存させる種類の実験ではなかったので、血球がある程度破壊されてしまう変形ディスク型の人工肺でも充分目的に適うものだったのです。

 現在は心臓手術の細かいところまで手順がほぼ決まっていて、誰でもある程度のことはできるようになりました。しかし今でも同一の手技に要する時間によって、術後の体力の回復などが大きく異なってきます。手術の成功率というのは、どの程度の重症例を扱っているかによって大きく影響されますので、正確な指標というわけではないのです。どの施設が良い手術をするか、そういったことはなかなか分からないものですが、医師の間のクチコミである程度実情が伝わってきますので、そういったことを知りたいのであれば、気軽にお尋ねください。


2016年3月2日水曜日

弁膜症の外科的治療 – 3


 弁疾患が判明した時点で心臓に過大な負担がかからないような生活指導とか、必要があれば薬物による介入が始まります。それは手術になったときに心臓の状態を出来るだけ良好に保つ必要があるからです。疾患の種類や程度によっては、生活上の注意と投薬で手術無しに一生を終えることもありえます。手術は、いくら安全になったと入っても、やはり一定の危険はありますし、手術のあとの一定期間は辛いものですから、疾患の種類や発症した年齢などの患者側の条件如何によっては先延ばしにした方が良い場合もあると思います。

それに、仮にその患者さんが85歳まで生きるとしましょう。60歳で手術してやや心機能が落ちてあと25年生きるのと、80歳で手術してやや心機能が落ちて5年生存するのとでは、20年間の生活の差がそれなりにあると思うのです。しかも手術死亡の可能性もあります。60歳で人生を終えてしまうよりも、80歳で終えるほうが20年分得します。ですから、一定の危険性を伴うことは出来るだけ先延ばしにするほうがいいのです。このあたりの事情は、政府が先延ばしにしている年金などの諸問題の処理とは異なります。それらの問題は早めに手を打ったほうが、選択肢が多く残っているので具合がいいのです。

 弁の手術では、カテーテル手術も一部試みられています。私の知る限り、ほぼ実用になりそうなのは大動脈弁の置換術と言うか、人工弁の植え込み術だけのようです。胸を開けて外科的に行う手術は冠動脈バイパス術と異なり、心臓の内部に外科的な操作を加える必要があるので、心臓の筋肉にメスを入れることになります。そのことが手術後の心機能の立ち上がりにブレーキをかけることになります。心臓にメスを入れて内部を操作する(そのために『開心術』と称します)ことで一定程度の負荷を心臓にかけることになるので、誰しもその切開線の長さを可能な限り短くしたいと考えます。

 しかし、小さな切開でその内部の操作を行うには困難が伴います。ビンの中に帆船のプラモデルのような奴を作るという趣味を時々見かけます。 それにチャレンジすることを考えてみてください。広口ビンの中にプラモをつくっていくのと小さな口のビンに作るのとでどちらが容易であるか、考えてみてください。とても起用で何度も造ったことのある人が狭口ビンの中に上手に作ったからといって、経験の乏しい人がそれをまねしてうまく行くか、たいていうまく行きません。

 器用であるかどうか、それだけではありません。手順をちゃんと頭に入れているかどうか、それこそが一番重要な点です。先に次の操作を妨害する作業をやってしまうと、そこで行き詰ってしまうのです。心臓の手術もそれと似た面があり、どのような順番でどのような器具を用いてどの角度からどのような操作をするか、そういった操作の順番を全部頭に入れておかなければならないのです。順番を間違えると困ったことになります。若いうちはたいてい偉い先生が助手を勤めてくれて、間違えたら叱られるだけで済みますが…

  心臓の手術をしたほうがいい患者さんがわたしの外来を訪れたら、私はできるだけ手術上の信頼性の高い私設へ紹介したいと考えています。それは先に述べたような、細かな手順の積み重ねが性格に手順どおりに行われている私設ほど手術成績がいいからです。ICUに一週間縛り付けられて死線をさ迷うより、翌朝人工呼吸器から離れ、一週間後には廊下を早足で歩き回っているほうが良いに決まっています。施設によりそれだけ結果が違ってくるのです。

 もちろん、手術する時点で心臓の筋肉がかなり痛んでいて完全な回復が難しいこともあり、そういった場合には誰が手術してもご本人が期待するほど手術の効果は上りません。それはある意味仕方ないので、出来るだけ早く病気を見つけて、多くの治療手段があるうちに当人にとってベストな手段を選ぶようにしたいと考えています。私が患者さんにやや離れた病院を紹介するときには、『古い野菜を置いている近くの八百屋と新鮮な野菜を置いている遠くの八百屋のどちらで買いますか』と訊ねます。中には腐った野菜をつかまされるようなところもあるのです。

 次回は心臓手術に使われる道具(特に人工的な血液酸素か装置)とか、心臓手術の歴史をかいつまんでご紹介しましょう。