2016年6月21日火曜日

寝たきりにならないために


 私たちが齢を重ねていくと、必ず体のいろんな部分が弱ってきます。人体を構成するパーツのどこかに不調が現れるというわけです。人の体を車に例えると、ひとには備わっているのに車には備わっていないことが随分あるのですが、ある程度納得してもらえるような形で話を進めることが出来ます。潮風の当たるところで運転することが多いと錆が出やすいとか、エンジンオイルを長いこと替えないで運転し続けているとエンジンが傷むとか言う具合で、どこが痛むかは、その車の走行スタイルに影響を受けるのです。

 人間の体にも似たような面があります。お相撲さんのように、体重を増やすことがその職業上要求される場合、心血管系の病気になることが多いようです。米国の西部劇などで人気者だった俳優さんの死因では悪性腫瘍が多く、それは彼らの撮影現場が地下核実験場のそばだったことと関係があるなどと囁かれています。寒い地方に住んでいる人では高血圧が多いなどという話も聞きます。地域や仕事などによってある程度生活様式が影響されることから、そうした話がこぼれ出てくるのでしょう。

 一般的な加齢のプロセスは、骨密度の低下、筋力の低下、基礎代謝の低下、免疫応答の迅速性や強度の低下などをベースにして、関節軟骨の磨耗とそれが原因の関節の変形、脊椎の圧迫骨折とすべり症、そうしたことを原因とした運動量の低下がそっと忍び寄り、体を構成する組織に占める脂肪の割合が増えてきます。そして耐糖能が低下し、糖尿病へと移行することが一般的です。しかも血糖値が高くなると、骨質が脆くなり、癌などにかかりやすくなり、認知症にもなりやすくなります。

 関節の機能を維持するためには姿勢保持の筋力を維持し続けることが重要です。背筋より腹筋が先に弱ってきますから、そのために腰椎が前彎する様になり、それが原因で腰椎下部のすべり症が生じやすくなります。そしてその前彎とバランスをとるために胸椎後彎が発生するのですが、胸椎は肋骨とともに頑丈な構造を作っていますので、簡単に後彎できない。そのために肋骨による篭構造が出来ていない下部胸椎が強く曲がってしまい、そのために胸椎の下のほうに圧迫骨折が頻発します。

 この圧迫骨折は、もちろん腹筋の筋力を維持して姿勢を良く保っていれば起こりにくいのですが、年齢とともに骨密度が低下し、骨質が脆くなってきますので、骨を強くするための医療上の介入をした方が良いと思います。女性は閉経の頃から女性ホルモン量の低下に伴って骨密度が低下するようにできています。だから50歳前後で潜在的な骨粗鬆症と考えたほうが良いと思うのです。そしてその頃から積極的に介入することで、90歳になっても背筋がまっすぐ伸びて、動作がそれほど緩慢にならない状態を保つことも夢ではないと思います。

 私が子供の頃には50歳というと《老婆》というイメージが強く、実際に腰の曲がった人が多かったのです。栄養上の知識がなく、骨粗鬆症に対する医療的な介入の方法が乏しかったので、閉経後速やかに骨粗鬆症による圧迫骨折が生じていたと思われます。今の若い人たちの一部に、奇妙な思い込みで偏った栄養バランスの食事を取り、太陽光線を過度に避けるという風潮が見られますが、彼らが50歳になった頃に、脊椎の圧迫骨折で腰の曲がった人たちが大量に発生するのではないかと私は危ぶんでいます。

 また、筋力と骨密度がともに低下することで、転倒しやすくなり、大腿骨の付け根を骨折することが多くなるのも高齢者の特徴で、転倒時に手を突くことで腕の骨折も良く見られるようになります。脊椎を圧迫骨折してきつい腰痛にさいなまれ、しかも大腿骨や前腕の骨を骨折すると、それがきっかけで寝たきりになってしまうことが多々あります。寝たきりになると気力が萎えるし、気力が萎えると起き上がろうという気になれなくなります。

 寝たきりにならずに、最後まで二本の足で歩いて、美味しく食事を頂くためには、日ごろから偏りのない食生活をして、清潔な環境を保ち、体を良く動かし、少し不調が見られたらその都度その不調を直す。そんな生活を心がけておく必要があります。「そんな面倒な」と考える向きはあると思いますが、ちょっとした生活上の習慣を形成する過程で覚える面倒と、あちこちが実際不都合になり、今まで出来ていたことができなくなって強いられる面倒では、大きな差があります。骨粗しょう症で体の一部に不具合が生じる前に予防することが大事です。


2016年6月3日金曜日

独立と依存


 ひとは単独で生きていくことが出来ません。小野田少尉や横井兵卒のようにジャングルの中で長いこと一人で生活していた人もいるのですが、人間としての基礎ができた上で孤立したわけで、人間形成の過程には社会がちゃんとした役割を果たしていました。単独で生きていく、いろんなサバイバル技術を学んだ上で単独で生き抜くことは、もちろん、環境によっては可能です。しかし、生まれたての赤ん坊が人間として育っていくうえで、社会的なトレーニングは必須のものです。

狼に育てられて15歳頃に発見された子供がいたそうですが、ついに『人間』になることが出来ず、まるで凶暴で飼い主にもなつかない野犬のようにしばらく生きていて、短い生涯を終えたそうです。人間としての考え方やものの見方など、それにお箸やナイフ・フォークで食事を取るといった習慣などが『人間』を作っているといっていいでしょう。その『人間』ですが、千差万別。なくて七癖などといいますが、同じ境遇に置かれても、自分の人生に対する向き合い方には大きな個性の違いがあります。

私たち医療従事者から見ると、病を得た後にどう対処するか、といった観点で見た場合に、各々の人柄が見て取れます。例えば癌と診断されたときにどうするかというのがあります。私が研修医だった頃は本人に『あなたは癌です』と告げることはありませんでした。ショックが大きすぎて、自分でその事実を受け止めきれないだろうというのが当時のわが国全体の空気で、その傾向は私がカナダに留学した1980年代後半には強く残っていました。

カナダの西海岸で、肺燕麦細胞癌(とても進行が早い)に罹患した患者さんに『あなたは手術適応のない肺がんにかかっており、あと3ヶ月ほどで死ぬから遺言など考えておきなさい』と告げているのを見てびっくりしたものです。欧米の医師に言わせると、本人の人生なのだから、知るべき情報は全部伝えておかないと、それは一種の瞞着的な行為だというわけです。帰国して数年後に、地域の中核病院で働き始めたときに、そこの外科部長が全てを本人に告げるという考え方を持った人で、実際に病名告知をしていました。

病院からの帰りに自殺してしまったひとがいるという噂も聞こえてきましたが、今は病名告知、予後の告知が一般的になってきています。癌以外の病気、糖尿病だとか脂質代謝異常だとか、骨粗鬆症、変形性の関節症、そして高血圧などは昔から告知していました。肝硬変や腎不全についても告知していました。糖尿病や高血圧は実際に不都合なことが起こるのはたいてい病の最終ステージに近づいた頃ですが、変形性の関節症や骨粗鬆症による異常骨折などは不都合が起こったらすぐさまそれと分かります。痛いのです。

その痛みにどう向き合うか。前置きが長くなりましたが、今回のテーマはこれです。膝や股関節には強い力がかかります。脊椎にも強い力がかかります。ですから、そのあたりの病気はその荷重がより大きくなるような条件(=肥満)があると、症状の進行が早い。そして痛みを口実に動くことをやめると筋肉が萎縮して消費カロリーが減ることで、より太りやすくなります。そうすると家屋の中でどうしても移動しなくてはならないような場面に出会うたびに情け容赦なく骨の変形などが進行します。

変形性質関節症では関節を動かしておくほうがいいのです。ある患者さんは自分の趣味を貫くために、ほとんど関節として機能しなくなった膝に痛み止めを打ちながら歩き回っています。長い下り坂を下りるのが辛いとこぼしていますが、それでも元気に活動しています。一方、関節変形の程度からすればそれよりはるかに軽症で状態のいい人が、ほとんどこもりっきりになり、生活上の様々なことを他者に依存するということが見られます。どんどん生活が縮小していき、人生の最終楽章が全く盛り上がりに欠けるものになっているようにみえてしまいます。

私の仕事の中心は痛みをある程度軽くし、病状の進行にブレーキをかけることです。胸椎下部の圧迫骨折などで急性期の痛みを乗り切るためには23週間入院していただいて、その間に痛みを軽減させるような処置をします。そして第2、第3の圧迫骨折がそれに続いて起きないように骨粗鬆症の治療を開始する、そして腰椎のすべり症の発生を食い止めるなどの手立てを講じる、そうしたことがこの病院に勤務する外科系医師である私の仕事であろうと思っています。

人生の広がりは『自分のことをちゃんと自分で始末する』ということと深く関連しています。そして生きていくうえでの喜びは、誰かに何かをして上げられることだと思うのです。どこかが痛いといって引きこもって、人に何かをしてもらうことを期待しながら、愚痴をこぼし、『死にたい』などと言っていると、友人たちの足も遠のくでしょう。すると自分の人生がさびしいものになってしまうのです。出来るだけ、そうならないようにがんばってください。お手伝いできるところはします。