2017年8月31日木曜日

血糖値の連続測定で分かること


 少し前に血糖値の測定について述べました(『趣味の血糖値測定』参照)。その項で述べたのは食後一定時間の後に指先や耳たぶなどを針でつついて出血させ、その血液から血糖値を測定する装置を用いたものでした。その測定で知りたかったのは、私の耐糖能がどの程度か、どのような食生活をすれば膵臓のインスリン分泌組織に過度な負担を強いずに美味しく食を楽しむことが出来るかというものでした。

しかし食後殿程度の時間が経てば血糖値が最大になるのか、それは何度も計ってみなければ分からないことです。もちろん食後一定時間の血に計るだけでも随分おもしろいのですが、血糖値の高い状態がどの程度続くのかとか、そのピークが食べ物の種類によってどう違ってくるのかと言ったことは分かりません。なんとなく決め手にかけるという気持ちが拭い去れませんでした。そんなもやもやした気持ちでいるときに、血糖値を15分おきに2週間の間測定し続ける装置がとても安価に利用できるようになったことを知りました。


従来連続血糖値測定装置は体にくっつけるセンサー部分が20万円ほど、そしてその読取装置が40万円ほどするもので、飲み代を節約する程度で何とかなるものではありませんでした。しかし2~3年前だったと思いますが、いきなり読取装置が7500円ほど、ディスポのセンサーが7000円ほどで入手可能となり、大幅な価格破壊が起きたのです。これだったら、自分の体を使った実験が、月にいちど飲みにいくのを控えれば、できそうです。

私は好奇心が強いほうで、簡単にその好奇心の前に敗れ去り、いつの間にか連続測定装置を買い込んでいました。そして早速自分の体に装着して食事記録をつけ始めました。今回はその興味深い結果の中から、『医者でもこんな無茶な食生活をしているのか』と言う形で悪影響が広まらないものを選んでここにご紹介します。

 2時過ぎに血糖値が低下して80あたりを推移しています。そして6時ごろには上昇傾向が認められ、615分頃布団から『脱出』しました。6時過ぎに小さなピークを形成した後血糖値が下がっているのは多分起床に引き続く身体活動でブドウ糖を消費したためと思われます。その日の朝食は野菜ジュースにオリーブ油をたらした奴を飲んで、前日のビーフシチューの残りを食べました。ジャガイモなどの付けあわせが入っていたので、ご飯やパンなどは食べていません。デンプン質の摂取量が少ないので、ほとんど血糖値は上っていません。食べ始めて比較的早めに血糖値が上昇しているのは、野菜ジュースに含まれる糖質のためだと考えられます。

昼食は野菜ジュースの後に、豚の肋軟骨に肉がくっついている奴をトマトソースで長時間に込んで軟骨がとろとろになったものをメインに食べました。その時の血糖値の変化はご飯を1/3膳ほど食べたにもかかわらず、あまり目立った上昇は見られません。また食後すぐに血糖値のピークを迎えています。昼食の直後に小外科手術が3件飛び込んできましたので、それらの処置で身体活動性が上った事がその理由かもしれません。処置を終え、自室で1時間ほど寛ぎました。休憩が血糖値に影響を及ぼしていないこと、飴玉1個(8g)が血糖値に影響しないことがわかります。

夕食は実験を兼ねて、少し多めに食べてみました。サラダを食べた後に、うなぎの蒲焼を一切れ、手羽先を甘辛く煮たもの3、枝豆(これはビールと一緒に)、そして極めつけは羊羹です。羊羹30gとしていますが、これは重量を測定したわけではなく、適当に書いたものなので、あまり当てになりません。しかしご飯の量などから判断すると、これほど血糖値が上昇するのは変です。どうやら蒲焼とか甘辛煮似含まれている糖分の影響を強く受けているようです。

915には夕食を終えているのですが、血糖値の高値安定は深夜まで続いています。食事の後に血液中に溢れてきたブドウ糖をすい臓から出るインスリンで処理しきれなくなったのか、この程度の血糖値であればすい臓からそれほど大量のインスリンが分泌されないので長いこと140を超える血糖値が持続したのか、それは分かりません。しかしここでいえるのは糖質を多めに食べると長いこと高血糖が持続すると言うことです。しかし、ここであわてて結論を出すこともないので、血糖値の推移に関する観察をしばらく続けてみたいと思っています。

2017年8月29日火曜日

熱中症


 私が子供だった頃は熱中症などという概念はありませんでした。日射病と言って、日に当たりすぎて体温が過度に上昇した状態をさすものでした。そのような人を見かけたら、とりあえず木陰に運んで冷やしたタオルを頭の上に乗っけて体が普通の体温に戻るのを待つ、それが唯一の治療でそれほど深刻なものとは思われていませんでした。こむら返りや、筋攣縮など誰も長時間の強い日射と関連付けていませんでしたので、当時は日射病にこむら返りが見られると言ったことは言われていません。

 熱中症に限らず、疾病の概念は何らかの原因に痰を発していかなる病状が関連付けて把握されているかという形で規定されますので、誰も痙攣などを念頭に置かなければ、日射病の人が痙攣を起こしていてもそれは日射病によるものではなく、たまたま痙攣を起こしているのだと考えてしまうわけです。今日、熱中症は体温の上昇を防ぎ難いような環境にいると、まず発汗して体温を下げようとする、発汗によって体内の水分と塩分などが奪われる、体内の水分バランスが崩れることで、様々な反応が引き起こされる。

 今日熱中症はその一連の反応を中心に理解されていますので、木陰で休ませて云々と言う牧歌的な対応はしなくなりました。病院に勤務していると、5月頃から熱中症の患者の搬送が増えてきます。かんかん照りの日よりも、若干気温が低くても湿度が高い日のほうが熱中症は発生しやすいのです。それは湿度が高いために大量に汗をかかないと体温が有効に下がってくれないからです。他にもいろんな因子が関係してきますが、一番重要なのは体温調節のための発汗で

 汗には水だけでなくミネラルも含まれています。子供の頃、部活が終わって後片付けなどをしているときに、汗が乾いて皮膚の表面がざらざらしているのを経験したことはお有りでしょう。つまり汗をかくと体から塩分も出て行くのです。塩の取りすぎで高血圧になるのだから、汗から塩が体外に出て行くのであれば、多少塩味の強い食べ物を食べても、汗をかけば大丈夫。そういった変な自信を持って塩辛いものを食べていませんか?一見理に適っているような意見ですが、駄目ですよ。

 塩辛さを好む味覚はある程度習慣によって形成されるものです。しかし汗をかくような運動は、例えば溶鉱炉で働く人のように特殊な環境で必ず大量に発汗する仕事についているのでない限り、塩分嗜好の習慣のように確実に塩分を体外に排出すると言うことはありません。だから塩分は体に溜り気味になって高血圧へと向かっていくのです。それに、塩には発がん性もあります。ほどほどにしておかないと、辛い思いをすることになりますよ。

 その熱中症ですが、病院に搬送されたり、自分で受診する人たちの中には、熱中症で顔なじみになった人もいます。毎年、いちシーズンに複数回病院にお金を落としていく患者さんもいます。熱中症はとても危険な病態ですので、あまり軽く見て、『熱中症になったら病院に言って点滴してもらえば良い』などと考えない方が良いと思うのです。何度か繰り返しているうちに、筋肉が壊死してしまってクラッシュシンドロームのような状態になる事だってあるかもしれない。そうすると、死んでしまってもおかしくないのです。

 少しの注意である程度は回避できます。複数人の同僚を差し置いていつも自分が率先して点滴を受けに来る、そういって嗤っているうちはいいのですが、ちょっとタイミングがずれると、赤血球がどろどろになってあちこちに詰まるようになり、筋肉が壊死して、それらから破棄された『ごみ』が血流に乗って腎臓のフィルタに詰まってしまいます。そうすると腎不全になり、生活全体がかなり味気ないものになりかねません。最悪の場合には熱中症で死亡すると言う事態を招きかねません。

 水分とミネラルの補給を適切に。適度な休憩を入れて体温の過度の上昇を予防しましょう。湿度の高い戸外での作業を強いられるときには、例えば一時間に一度冷房の聞いた部屋で休憩を取り、そのときに水分を充分に補給すると言った対応が必要になります。湿度と温度を相手にロシアン・ルーレットのようなことを続けると、何時か実弾が自分めがけて飛び出してくると言う事態も起こらないとは限らないので、くれぐれも自分の体を同僚の盾に使ったりしないように、充分お気をつけて今しばらく続く夏場を乗り切ってください。


2017年8月9日水曜日

老後の身体活動性


 年をとると、いろんな動作が億劫になってきます。椅子から立ち上がるだけでも億劫で、『どっこいしょ』などと掛け声をかけなければ立ち上がることが出来なくなることは皆さん、身に覚えがあると思います。何かをするときに最初に『どっこいしょ』などというと、『年だねえ』などとからかわれることもあるのですが、言っている方も内心そのことを自覚しています。『寄る年波には勝てない』などとも言いますが、私たちの筋肉量はある年齢を過ぎると衰えてきます。

 握力で見た場合、男性で26kg、女性で18kgというのが筋肉量低下を評価する上での一つの目安となります。しかし年をとってからでもトレーニングによって筋肉苓及び運動能力を増強させることも可能です。その事実を私は身をもって経験しました。3年ほど前、私が65歳の頃ですが、妻が心臓病で手術のために入院した時のことです。彼女の入院先の病棟が9階にあり、そこに付き添うとなるとエレベーターで9階まで上って、あとは日長1日傍に付きっ切りということになりかねません。

 じっとしているとこちらのほうも体が不調を訴えますので、手術後3日目から私は9階まで歩いて上ることにしました。病院の部屋の天井にはいろんな配管がなされており、そのために1回ごとの高さの差が普通のビルより大きいのです。一段15cmほどの階段を一階分上るのに37段を要しました。これが9回まで、つまり333段を登って妻の部屋にたどり着く羽目になったのです。最初の時にはたどり着いたときにどちらが患者だろうというほど疲れ果てていました。

 しかし運動した後は気分爽快になります。そのために私はその時からちょくちょくその病院の一階にあるローソンなどに買い物に行くのに階段を昇降するようになりました。口実を設けて13~49回までの階段を上り下りするようになり、そんな生活を2週間ほど続けたら、明らかに体力がついてきたのです。週末自宅に帰る時には天気に恵まれていたら街中までの13kmほどをカメラを片手に歩くのですが、山道をのんびり写真を写しながらの散歩ですから4時間ほどかかっていました。

 それが、妻の入院中の筋トレの後同じコースをいつもと同じように写真を写しながら歩いて3時間を切っていたのです。65歳になっても筋トレの効果は如実に現れる。これは私にとって、自分が実感した運動の効果としては劇的でした。一方、10日間臥床すると筋肉蛋白の合成能力が三割ほど低下することが分かっています。一般に勤務先を定年で退職する頃といえば、私が9階までの階段を休むこと無しに上っていた頃です。退職した後、部屋でごろごろしながらTVを見て風呂に入って、ビールを飲んで、食事を済ませて、しばらくTVの前で転がって、そして寝る、そんな生活をしていませんか?

 人の体は起きて動くとそのことで重力に抗して筋肉が姿勢保持のために活動します。その活動が筋肉量の衰えに抵抗するのです。日長ごろごろしていると筋肉量が低下して、フレイルという寝たきりの一歩手前の状態になります。後は要介護、寝たきりの生活に一直線となってしまいます。そしてひとは排泄を他人の手を借りる段階で自尊心が吹き飛んでしまうことが多い、その時点で心が壊れてしまう場合もあるのです。

 そうなってもなかなか死ねない。日本の病院では、裁判で妙な結果がでることを避けるために、とことん生かしておこうとします。体のあちこちに妙な管がついて、生命だけを維持するための補助手段によって生かされていくのです。そうならないためには出来るだけ体を動かして、筋肉量を低下させないようにする、そして関節の痛みを抑えるための手段を講じる、私たちが人間としての尊厳を持ちながら快適に一生を終えるためにはそうした事が欠かせないのです。